2011年12月18日日曜日
鼠よけの猫 歌川国芳
鼠よけの猫 歌川国芳 1830年頃
"此圖ハ猫の絵に妙を得し一勇齋の寫真(しやううつし)の圖にして これを家内に張おく時にハ鼠もこれをミれバおのづとおそれをなし次第にすくなくなりて出る事なし たとへ出るともいたづらをけつしてせず 誠に妙なる圖なり 福川堂 記"
※郡山市立美術館での国芳展を前後期の二度見に行くことができた。前期にこの絵があり、うれしくて詞書を会場でメモした。帰ってググってみれば人気の絵だから、アチコチに文字おこしをしている人がいる。まあ好みの表記法があるので記念に書きつけておく。
誠忠義士傳 間瀬宙太夫正明 歌川国芳
No. 44 Mase Chudayu Masaaki / Seichu gishi den (Biographies of Loyal and Righteous Samurai) / Kuniyoshi
誠忠義士傳 間瀬宙太夫正明 歌川国芳 1847年
“正明ハ三ツ橋浄定と變名して格子町に借家なし医師をなす 子息孫九郎ハ小市郎と改名し西國より鎮守再興勧化の事 領主へねがひに出たる者の由にて義徒三四人浄定方へ同居なし居たり 十二月十四日討入におよび宙太夫行年六十二歳といへども壮健なる事 血気隆(さかん)なる者に少も劣ず二番手に列して玄関より矢声を係て切入たり 敵方森伴左エ門と渡り合双方勇猛を争ひ勇を震つて血戦す 原三村是を見て森の太刀先するどけれバ老人間瀬を討せじと横合より討てかゝれバ勇気燦然として宙太夫ハ少もひるまず 爰構ハずと奥へ/\ と呼ハりて猛虎の荒たるごとく鍔元より火花をちらし戦ひを譲らず一ト駻(はね)はねて討込太刀狙ひ違ハず森の眉間鉢巻係て切こめバ刀ハ国俊手練の達人眞二ツにぞ切割たり 森ハ其儘叫もあへず血煙立て死たりける宙太夫ハ手始よしと血刀振て奥を目掛馳入バ小守源次と名乗かけ太刀真向に立塞り戸口を入れじと支たり 面倒なりと打あハせ上段下段と切結ぶ 小守も聞ゆる強勇なれども敵しがたくやのがれんと跡へひかんとする所を横に拂へバ受損じ右のあばらの下より上へ二ツに切て捨さりしハ実に目覚しき老人の働きなりと感じけり 応需 一筆葊 誌”
2011年11月17日木曜日
福島原発事故に係る主な課題:2011年3月31日
科学史技術史研究所 » Blog Archive » 元原子力委員など福島原発事故・緊急建言/日本学術会議提言
福島原発事故についての緊急建言・福島原発事故に係る主な課題(pdf)
福島原発事故に係る主な課題
当面の最重要課題は、大量の放射能を環境にださない工夫をしながら、原子炉と燃料プールの使用済燃料を連続冷却すること(循環余熱除去システムの復帰)。
・ 必要なことは、電源を復帰させ、余熱除去システムを稼動させることで、一刻も速やかにこれを達成すること。
・ 作業を速やかに実施するためには、作業環境、作業体制を整えること。
― 作業場の放射線量をできるだけ下げること
― 重層的な作業体制をつくって、24 時間体制で実施できるようにし、個人の被ばく線量を抑制すると同時に、作業者が適切な休養・栄養・睡眠をとって思わぬ災害やトラブルを起こさないようにすること。
高レベルの放射線量下での作業は、2-3 時間で交代できるようにすべき。
・ 前線の作戦本部はサイトまたはオフサイトセンター内において、サイト内の現場作業と一体となって取組む(被ばくも苦労も分かち合うこと)。
・ 一個人に役割を集中させず、柔軟な役割分担も必要(現場所長等の超過労に配慮)。
制約条件
・ 炉心や燃料プールの冷却を欠かすことができない。しかし、冷却を継続していても溶融炉心は、徐々に圧力容器壁を溶かし続けるので、時間的な制約がある。
・ 水素は発生しており、細心の注意が必要。
・ 高レベルの放射性排水の処理は、極めて困難。多くの放射線源が分散しており、適切な放射線管理と遮蔽対策が必要。
・ 高レベル廃液は、移したところが放射線の発生源となるので、遮蔽が必要。
絶対に維持すべきことは、圧力容器と格納容器の閉じ込め機能と、使用済燃料プールの水位の維持
閉じ込め機能維持
・ 格納容器の圧力を下げるとか、水素爆発を除くために排気すれば、格納容器内の放射能の一部が環境に出る。
・ 燃料が破損・溶融したため、格納容器内には莫大な放射能が溜まっていると推定されるが、その量は不明。
・ ドライベントのように、放射能を環境に排出せざるを得ない事態には、住民、自治体に衆知し、適切な対応を要請すべし。
使用済燃料の破損防止
・ 使用済燃料プールの水位が下がり、燃料が空気中に晒され、除熱できなくなると燃料被覆管であるZr合金の温度が上がり、Zr-水(水蒸気)反応が起こり、被覆管が破損し、内部の放射能が環境に放出される。
・ 既に、3号機と4号機の使用済燃料ではこうした事態が一旦起ったようであるが、これ以上被覆管が破損し、さらに大量の放射能が放出されるのを防ぐためには、燃料を完全に水没させておくことが極めて重要である。
生活環境に放出された放射能対策と避難住民の復帰対策
・ 広範に放出された放射能の詳細な測定と影響評価
― 空間線量(積算線量)、土壌汚染、飲料水汚染の実態と評価
― 核種・線量の汚染マップの作成
・ 野菜等の風評被害対応
科学的で信頼できる評価と説明(個々バラバラの説明はよくない)
・ 相当の広い範囲でセシウム 137 等による汚染があり、レベルに応じた対策が必要。
・ 避難住民の復帰シナリオの提示
・ 必要に応じた健康診断
サイト内の放射能対策は、短期課題、中・長期課題に分けて対応すべし。まず、安全に安定化、その後大量の放射性廃棄物の処分
・ 当面は、放射能が環境に逸散するのを防ぐ手当てが必要(密閉管理)
・ サイト内に広がっている放射能対策
― 汚染されている土壌等は、できるだけまとめて放射能粉塵の飛散を防ぐ措置
― サイト外への飛散を防ぐことと、サイトでの作業者の被ばくを減らす上で重要
・ 大量の高レベル放射能排水の処理・処分
・ 使用済燃料の始末(長期)
・ 原子炉の始末(長期)
福島原発事故についての緊急建言:2011年3月31日
科学史技術史研究所 » Blog Archive » 元原子力委員など福島原発事故・緊急建言/日本学術会議提言
福島原発事故についての緊急建言・福島原発事故に係る主な課題(pdf)
福島原発事故についての緊急建言
はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。
私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。
特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。
こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させることが唯一の方法である。現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅れ、現場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。
こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能を含む冷却水の大量漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通しが立たない状況にある。
一方、環境に放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えている。さらに、事故の終息については見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要がある。
福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。
当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量の放射能を閉じ込めることであり、また、サイト内に漏出した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難な仕事であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない。
さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏洩を防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一にも水素爆発を起こさない手立てが必要である。
事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的に取組むことが必須である。
私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。
平成 23 年 3 月 31 日
青木 芳朗 元原子力安全委員
石野 栞 東京大学名誉教授
木村 逸郎 京都大学名誉教授
齋藤 伸三 元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長
佐藤 一男 元原子力安全委員長
柴田 徳思 学術会議連携会員、基礎医学委員会。総合工学委員会合同放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長
住田 健二 元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
関本 博 東京工業大学名誉教授
田中 俊一 前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
長瀧 重信 元放射線影響研究所理事長
永宮 正治 学術会議会員、日本物理学会会長
成合 英樹 元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子 前原子力委員、学術会議連携会員
松浦祥次郎 元原子力安全委員長
松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男 東京大学公共政策大学院特任教授
福島原発事故についての緊急建言・福島原発事故に係る主な課題(pdf)
福島原発事故についての緊急建言
はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。
私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。
特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。
こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させることが唯一の方法である。現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅れ、現場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。
こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能を含む冷却水の大量漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通しが立たない状況にある。
一方、環境に放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えている。さらに、事故の終息については見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要がある。
福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。
当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量の放射能を閉じ込めることであり、また、サイト内に漏出した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難な仕事であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない。
さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏洩を防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一にも水素爆発を起こさない手立てが必要である。
事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的に取組むことが必須である。
私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。
平成 23 年 3 月 31 日
青木 芳朗 元原子力安全委員
石野 栞 東京大学名誉教授
木村 逸郎 京都大学名誉教授
齋藤 伸三 元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長
佐藤 一男 元原子力安全委員長
柴田 徳思 学術会議連携会員、基礎医学委員会。総合工学委員会合同放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長
住田 健二 元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
関本 博 東京工業大学名誉教授
田中 俊一 前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長
長瀧 重信 元放射線影響研究所理事長
永宮 正治 学術会議会員、日本物理学会会長
成合 英樹 元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子 前原子力委員、学術会議連携会員
松浦祥次郎 元原子力安全委員長
松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男 東京大学公共政策大学院特任教授
2011年10月13日木曜日
通販生活(カタログハウス)「救援募金を福島の子どもの甲状腺検査活動に使わせて下さい。」
通販生活HP | 東日本大震災に関して
"被災された方々のために 一口2000円~の「あなた方を忘れない救援募金」を立ち上げました この救援キャンペーンは2015年末まで続けます。"
--------------------
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通販生活 2011年秋冬号82頁
読者の皆さまへ
来年1月からの「あなた方を忘れない救援募金」は、
福島の子どもの甲状腺検査活動に
使わせてください。
福島県では「18歳以下~ゼロ歳児までの36万人」に、
・11年10月から14年3月末にかけて、超音波による甲状腺検査を1回行い、現状を把握する。
・14年以降も18歳未満は2年ごとに、20歳を超えた人は5年ごとに超音波検査を行う。
・しこりなどの異常が見つかった場合は、採血、尿の検査などで詳しく調べる。
としています。(11年8月31日現在)
36万人という大量の数だから仕方ないとは思いますが、3年かけて1人1回、次からは2年に1回の診察というスピードはやはり現状に合わないのではないかと心配しています。
これからの私たちの支援の課題は、福島県の個人線量、甲状腺超音波検査、一般健診をどうしたら補完できるか、にあると考えます。
福島県では甲状腺の異常を超音波で調べる方法を採用していますが、もう一つの検査として、採血した血液中の甲状腺ホルモンの濃度から甲状腺機能の正常・異常を診断する方法があります。
80頁の『白樺湖7泊8日ご招待』では、JCF(認定NPO法人、日本チェルノブイリ連帯基金/理事長・鎌田實さん)のご尽力で福島原発から30キロ圏内の子どもたちを中心に130人の子どもたちが信州大学医学部附属病院の小児科(小池健一教授)で診察を受けました。
その結果、10人が「念のため経過観察を要する」と診断されました。130人の採血分析および尿検査等の費用約52万円(健康保険3割負担)はJCFが払ってくださいました。
このような検査であれば1人当り約4,000円でまかなえます。1万人で4,000万円、10万人で4億円。かつて本誌読者はチェルノブイリ子ども支援募金に総額4億7,481万2,055円を払い込んでくださいました。(90年冬号から08年夏号まで)
福島県主催の甲状腺検査の具体的なスケジュールが決まり次第、県のスケジュールの間隔を埋めるかたちで、どの医療機関とどんな甲状腺検査をどの地区の何歳児から始められるか……いま、チェルノブイリの子ども医療支援で20年の経験をもつJCFの神谷さだ子事務局長を中心として対応策を練っています。
来春から支援活動を始められる見通しが立てられれば、さっそく次号(12年春号)から、福島の子ども検査支援募金をスタートさせる予定です。
※該当ページには「信州大学医学部附属病院小児科で採血をする兄弟(11年8月18日)」というキャプションがついた写真が掲載されている。
※今後のカンパ募金の使い道についてはこちら ( PDF, 1.51MB)
※その後カタログハウスは通販生活春号(2012年1月)において
「売上げの1%を福島の子ども支援に当てるとした11 年発行の「ピカイチ事典12 年版」の最終売上げ(12年6月30日締切)が60 億に達することがほぼ確定しました。その1%の6000万円(すでに1800万円支払い済み)があるので、春号での募金はけっこうです。」
という良くわからない理由から
「あなた方(福島)を忘れない救援」の募金は「通販生活」2012年春号ではお休みします。」
と公告した。4億円必要だと言っていたのにカンパ募金を一時停止したということは、募金の使途の再検討を行なっているのだろう。ただしHPには
"「来年1月からの「あなた方を忘れない救援募金」は、福島の子どもの甲状腺検査活動に使わせてください。"
というpdfも残されており、矛盾している。
※今後のカンパ募金の使い道についてはこちら ( PDF, 1.51MB)
※その後カタログハウスは通販生活春号(2012年1月)において
「売上げの1%を福島の子ども支援に当てるとした11 年発行の「ピカイチ事典12 年版」の最終売上げ(12年6月30日締切)が60 億に達することがほぼ確定しました。その1%の6000万円(すでに1800万円支払い済み)があるので、春号での募金はけっこうです。」
という良くわからない理由から
「あなた方(福島)を忘れない救援」の募金は「通販生活」2012年春号ではお休みします。」
と公告した。4億円必要だと言っていたのにカンパ募金を一時停止したということは、募金の使途の再検討を行なっているのだろう。ただしHPには
"「来年1月からの「あなた方を忘れない救援募金」は、福島の子どもの甲状腺検査活動に使わせてください。"
というpdfも残されており、矛盾している。
2011年10月10日月曜日
瓦版 東北海岸の海嘯 発行人 原田音十郎 1896年6月23日
「地震火災版画張交帖」(石本コレクションI)目録 (via hasso)
瓦版 東北海岸の海嘯(目録番号 6) 発行人 原田音十郎 1896年6月23日
"明治廿九年六月十五日午後七時ニ始リ同十六日ニ至リ激震三十一回被害ノ實況 岩手縣釜石ハ死亡五千人斗流失 同盛町附近ハ死亡四千人 流出家二千餘戸 同大槌町附近ハ死亡六百人 流家五百餘戸 同山田町大半流失其附近合テ流失三百餘戸 死者千人 宮城縣ハ死亡三千百三名 傷者五百五十流失及ひ破損ノ家屋ハ九百七十三 同本吉郡歌津村ノ如キハ戸數六百一ハ家屋悉く流失 死者六百餘負傷者二百 同唐桑村ハ戸數七百七十ノ内流失二百六十死者八百二十三人ナリ 青森縣ハ三戸部五十余 上北郡ハ二百五十餘戸 流失死者不詳 同宮古町ハ流失家屋不詳死者七十餘"
"右ニ付三縣下到ル処電信不通ト相成ル 陸中ノ國海岸ニハ外國ノ汽舩三隻モ陸上ヘ打上ケタリ 各國ノ公使ヨリハ本國ヘ向ケ不残電報相成ル 岩手縣雄勝地方ヘ使役ノ重罪人二百四十名斗ハ百名程ハ死亡ス 并ニ出役人員モ多く殉難スルアリ 又同縣港町邊ハ帆前舩并ニ大小百餘隻ノ漁舩ハ舟ノ鼻先ヲ家屋ノ内ヘ付キ込ミ羽目板ヲ破リ居ル等誠ニ言語同断ノ大變ナリ 尚此ノ日ハ五月節句ノ當日ナレハ各村各町ハ酒宴ノ催シ盛ンナルニ當リ死人モ殊ノ外夥シト云"
"図中○印ハ被害ノ尤甚キ処ナリ 黒線ハ鐡道線ナリ 又再三ノ報知ニヨレハ岩手縣ノ分ハ死者二萬二千百八十六人負傷千二百四十四人ナリ 青森縣死者三百八人負傷百四十人ナリ 家屋ノ流亡及破壊四百八十ナリ宮城縣ハ未タ詳ナラス"
"附タリ 岩手縣ニテハ被害ノ當日大火モアリ戸數詳ナラスト雖モ水火両難恰モ人間世界ノ有様ニテハナク海嘯ノ高キケ所ハ五丈餘ニテ押寄セタル景況實ニ可驚ノ次第ナリケリ"
"明治廿九年六月廿日印刷編輯發行兼 同年同月二十三日發行印刷者 東京本郷区丸山新町三十四番地 原田音十郎"
※翻刻文、ここにあった。骨折り損。orz
瓦版 東北海岸の海嘯(目録番号 6) 発行人 原田音十郎 1896年6月23日
"明治廿九年六月十五日午後七時ニ始リ同十六日ニ至リ激震三十一回被害ノ實況 岩手縣釜石ハ死亡五千人斗流失 同盛町附近ハ死亡四千人 流出家二千餘戸 同大槌町附近ハ死亡六百人 流家五百餘戸 同山田町大半流失其附近合テ流失三百餘戸 死者千人 宮城縣ハ死亡三千百三名 傷者五百五十流失及ひ破損ノ家屋ハ九百七十三 同本吉郡歌津村ノ如キハ戸數六百一ハ家屋悉く流失 死者六百餘負傷者二百 同唐桑村ハ戸數七百七十ノ内流失二百六十死者八百二十三人ナリ 青森縣ハ三戸部五十余 上北郡ハ二百五十餘戸 流失死者不詳 同宮古町ハ流失家屋不詳死者七十餘"
"右ニ付三縣下到ル処電信不通ト相成ル 陸中ノ國海岸ニハ外國ノ汽舩三隻モ陸上ヘ打上ケタリ 各國ノ公使ヨリハ本國ヘ向ケ不残電報相成ル 岩手縣雄勝地方ヘ使役ノ重罪人二百四十名斗ハ百名程ハ死亡ス 并ニ出役人員モ多く殉難スルアリ 又同縣港町邊ハ帆前舩并ニ大小百餘隻ノ漁舩ハ舟ノ鼻先ヲ家屋ノ内ヘ付キ込ミ羽目板ヲ破リ居ル等誠ニ言語同断ノ大變ナリ 尚此ノ日ハ五月節句ノ當日ナレハ各村各町ハ酒宴ノ催シ盛ンナルニ當リ死人モ殊ノ外夥シト云"
"図中○印ハ被害ノ尤甚キ処ナリ 黒線ハ鐡道線ナリ 又再三ノ報知ニヨレハ岩手縣ノ分ハ死者二萬二千百八十六人負傷千二百四十四人ナリ 青森縣死者三百八人負傷百四十人ナリ 家屋ノ流亡及破壊四百八十ナリ宮城縣ハ未タ詳ナラス"
"附タリ 岩手縣ニテハ被害ノ當日大火モアリ戸數詳ナラスト雖モ水火両難恰モ人間世界ノ有様ニテハナク海嘯ノ高キケ所ハ五丈餘ニテ押寄セタル景況實ニ可驚ノ次第ナリケリ"
"明治廿九年六月廿日印刷編輯發行兼 同年同月二十三日發行印刷者 東京本郷区丸山新町三十四番地 原田音十郎"
※翻刻文、ここにあった。骨折り損。orz
2011年9月15日木曜日
教導立志基 三十一 富田信高 月岡芳年
教導立志基 三十一 富田信高 月岡芳年 1885年12月
"富田信高 安濃津の城を守る 毛利吉川等之を攻め兵を進めて入らんとす 信高乃ち城を出て闘ふ時に容顔美麗鎧冑鮮明なる一壮士あり 信高の馬前に来り槍を揮て敵兵を斃すこと十数人 敵為に敗走す 信高其誰なるを知らず 城門に入るに及び壮士聲(声)を擧(挙)て君恙(つつが)なきやと 之を視れバ其妻浮田なり 信高愕(おどろ)き且喜び今日の捷(勝 かち)ハ實(実)に卿(なんぢ)の力なりと大に賞讃せるとぞ 紅雲舎東窓 識"
"富田信高 安濃津の城を守る 毛利吉川等之を攻め兵を進めて入らんとす 信高乃ち城を出て闘ふ時に容顔美麗鎧冑鮮明なる一壮士あり 信高の馬前に来り槍を揮て敵兵を斃すこと十数人 敵為に敗走す 信高其誰なるを知らず 城門に入るに及び壮士聲(声)を擧(挙)て君恙(つつが)なきやと 之を視れバ其妻浮田なり 信高愕(おどろ)き且喜び今日の捷(勝 かち)ハ實(実)に卿(なんぢ)の力なりと大に賞讃せるとぞ 紅雲舎東窓 識"
環境省「環境回復検討会」委員一覧
平成23年9月12日
環境回復検討会(第1回)の開催について(お知らせ)
「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法(放射性物質汚染対処特措法)」が定められたことを受け、当該事故により放出された放射性物質に係る除染等の措置等に係る事項について検討するため、「環境回復検討会」の第1回会合を開催いたします。
1.日時
平成23年9月14日(水)9:30~12:00
2.場所
環境省第1会議室
(東京都千代田区霞が関1-2-2 中央合同庁舎第5号館22階)
3.議題
(1)
除染の在り方について
(2)
その他
4.その他
本検討会は非公開ですが、後日議事要旨を公表いたします。
5.委員一覧(敬称略)
稲垣 隆司 元愛知県副知事
大迫 政浩 独立行政法人 国立環境研究所 循環型社会・廃棄物研究センター長
大塚 直 早稲田大学教授
崎田 裕子 NPO法人持続可能な社会をつくる元気ネット理事長
○鈴木 基之 東京大学名誉教授(中央環境審議会会長)
田中 俊一 NPO法人放射線安全フォーラム副理事長
中杉 修身 上智大学元教授(中央環境審議会土壌農薬部会長)
新美 育文 明治大学教授
古田 定昭 独立行政法人 日本原子力研究開発機構 東海研究開発センター核燃料サイクル工学研究所放射線管理部 部長
細見 正明 東京農工大学教授
森 久起 財団法人 原子力研究バックエンド推進センター専務理事
森口 祐一 東京大学教授
連絡先
環境省水・大気環境局土壌環境課
代表:03-3581-3351
課長:牧谷 邦昭
補佐:根木 桂三
担当:松浦 小百合(内線6657)
2011年8月21日日曜日
てるてる法主おひよりおどり 歌川国芳
てるてる法主おひよりおどり 歌川国芳 年代不詳
おひよりごきとふ/\ てり升/\てらせ升
おてんきくわいせい/\ お子さまがたのおてざいく
あしたハおひよりはれ升/\
おてんき/\ おひより/\/\
めつそなおてんきごうぎなおひより
てり升/\/\"
お日和ご祈祷お日和ご祈祷 照り升照り升照らせ升
お天気快晴お天気快晴 お子様方のお手細工
明日はお日和 晴れ升晴れ升
お天気お天気 お日和よりより
滅相なお天気 豪儀なお日和
照り升ますます
おひよりごきとふ/\ てり升/\てらせ升
おてんきくわいせい/\ お子さまがたのおてざいく
あしたハおひよりはれ升/\
おてんき/\ おひより/\/\
めつそなおてんきごうぎなおひより
てり升/\/\"
お日和ご祈祷お日和ご祈祷 照り升照り升照らせ升
お天気快晴お天気快晴 お子様方のお手細工
明日はお日和 晴れ升晴れ升
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2011年8月15日月曜日
甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳
Yamamoto Kansuke Nyudo Dokisai Haruyuki / Koetsu yusho den Takeda-ke nijushi-sho (Biographies of Heroic Generals of Kai and Echigo Provinces, Twenty-four Generals of the Takeda Clan) / Kuniyoshi
甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳 1848年
"三州牛窪の産 幼稚(おさなき)より兵書に眼を曝(さらし)て孫呉が奇術を得たり若冠(わかゝり)し時故有て五體不具となりし事或ハ武田家に仕官(つかへ)て所々に勲功ありし等ハ人能知れバ此紙に不言 扨も永禄四年辛酉九月四日に武田上杉の両軍勢川中嶋に合戦の砌 敵将謙信奇計をめぐらし車係の陣を布(しき)味方の勢の難義といひ曾(かつ)ハ大将の籏本さへ危しと見切しかバさらバ命を爰に捨て君恩を報ずべしと手勢を撰(すぐつ)て七十五人 北越無雙の勇将と聞し長尾越前守義景が勇ミ進める兵の中へ會釋もなく突て入 縦横無盡に切て廻り目に余る大軍を七度まで追崩し身も鉄石にあらざれバ數ヶ所の深手に是までなりと一歩も不去(さらず)討死なししハ實(げ)に比類なき働ともまた惜むべき有様ともいふべし 應需 柳下亭種員誌"
2011年8月8日月曜日
太平記英勇傳 荒儀攝津守村重 歌川国芳
no. 27 Aragi Settsu-no-kami Murashige / Taiheiki eiyuden (Heroes of the Great Peace) / Kuniyoshi
太平記英勇傳 荒儀攝津守村重 歌川国芳 1848~1850年頃
"攝州伊丹城主なり其先将軍義昭公に随従して春永に鉾楯(ぼうじゆん)せしが義昭公の柔弱なるをうとんじ大多に降り春永の面前に出るに及んで村重の曰己が領國摂州の地ハ総て十三郡分國にして敵徒所々に城を構へ兵士を集むあハれ其(それがし)に切取の事を仰付られなバ身命を抛(なげうち)切鎮るべしと言上なすに春永莞尓として答をなさず坐右を見玉ふに高坏に饅頭を盛並しものあり腰刀を引抜切先に三ツ五ツ串貫(さしつらぬき)いかに村重我寸志なり食すべしとて目の上に差付たまふ一坐色を失なふ中に荒儀聊(いさゝか)恐るゝさまなく有がたしとにじりより大の口をくわつと開き切先に貫し饅頭を只一ト口に食んとなす春永大きに笑ひ玉ひ聞及し汝が大膽我をさへ驚せり望に任せ切取て摂津守たるべしと仰けれバ村重面目を施し直に打立程なく一國を切従へしが後再び春永に叛き竟(つひ)に伊丹の城を責落され圍(かこミ)を切抜一命を遁れ剃髪して一期を送りしとかや 一家略傳史 柳下亭種員記"
2011年8月7日日曜日
田中俊一氏講演スライド「その他の課題」
第四回原発対策国民会議における田中俊一氏の講演スライドより
スライド37
「厳しすぎる食物摂取基準値による被害の拡大」
保守的な仮定
・年平均濃度とピーク濃度の比をEUでは1/10に対して、1/2を仮定 ⇒ 5倍
・Sr-90/Csの比を0.1と仮定(実際は、0.01以下) ⇒ 5%
・食品摂取量について調査結果1365g/日を1600g/日と仮定 ⇒ 17%
・全ての食品が汚染されていると仮定 ⇒ 非現実
・米へのセシウムの移行係数を10%と仮定〈平均データは1%以下)
⇒耕作制限地の拡大
セシウムー137の内部被ばく換算 1mSv/72000Bq
★ 伊達市のキロ当たり580Bq梅を一年間に10kg食べた場合の被ばく量は、75μSv。
★ 神奈川県の新茶から、570Bq/kgのセシウムが検出されたことで、出荷自粛措置がとられたが、これは一年間に135kgのお茶を食べた場合、1mSvになる値である。
☆ 海水浴場の基準:10リットルの海水を飲むと7μSv。
スライド38
被ばく線量基準の決め方、適用には課題が多い
その1:計画的避難区域
100mSvまでは、「直ちに影響のでるレベルではない」といいつつ、来年3月11日まで現在の地に留まって生活を続けた場合、積算線量が20mSvを越えることになるという予測に基づいて避難。
→ 緊急時ひばく状況(年間20-100mSv)
その2:学校の基準
現存被ばく状況(年間1-20mSv)にある福島市や郡山市等の学校の基準は、当初は年間20mSvを適用、その後、年間1mSvを目標とすると訂正。(父兄等の心配と混乱)
→ 成人、子供、妊婦の区別なし。
その3:従事者の緊急時被ばく線量の扱い
福島原発の事故収束に向けた作業者には、緊急時ひばく限度として250mSvが適用されている。一方、通常の職場では、年間50mSv、5年間で100mSvの被ばく限度が適用される。
福島原発での被ばく線量を通常の被ばく線量と別扱いしないという厚生労働省の通達が適用されると、福島原発での作業者はその後、他の職場での仕事が出来なくなる。
→ 緊急時と平常時の基準が交錯(省庁縦割りでは現在の状況は乗り切れない)
その4:放射性廃棄物の基準
廃棄物処理施設の周辺住民被ばくは1mSv/y以下。処理業者も電離則に沿って1mSv/y以下。埋設処分管理期間終了後は10μSv/y(6月3日安全委員会)
→ 福島県の状況を認識しない無責任
ガレキは8000Bq/kg以下なら一般廃棄物として処分可能(環境省)
→ 汚染のスクリーニングは事実上不可能
スライド40
国は住民に対する適切な発信ができていない
・事故当初おいて、適切な原子力防災対応をしなかったことで、避難指示を受けた多くの住民は飯舘村などに避難した。つまり、国の適切な発信がなかったことにより計画的避難区域では無用の被ばく、特に子供達が被ばくをしたということに極めて強い怒りと不信感がある。
・避難を余儀なくされた住民は、戻れるか、いつ戻れるかということで、絶望感と望みの中で揺れ動いている。国は具体的に除染の取組みを始め、こうした不安に応えることが急がれる。また、避難住民の大きな悩みの一つは仕事の喪失であり、住民は除染作業に参画し、安定した仕事を持ちつつ復帰できることを強く希望している。
・福島県民は、放射線被ばくに対して強い懸念を抱いている。特に、子供達の被ばくについての母親の心配は極めて深刻であり、子供達の生活環境の放射線量の低減化を図りつつ、放射線による健康影響について、正しく理解できるような取組みが必要である。
・福島市等の学校では、30度を越すような日でも校舎の窓を閉め切ったり、マスクをして授業を行っているが、これは意味がない。国(文部科学省)の測定では、飯舘村や川俣町も含めて3月末からは特別の対応が必要な空気中の放射能は観測されていないことを踏まえて、適切なアドバイスをすべきである。
同様のことは、洗濯物を外で干すとか、布団を干すということにも当てはまるもので、生活者の立場での適切な発信が大事である。
スライド41
「大気中の放射能」
空気中には放射能がないので、窓をしめたり、マスクをしたり、長袖を着る効果ゼロ。洗濯物、布団も外で乾燥させても問題はない。
スライド42
国(政治)が取組むべき緊急課題
① 国の責任で放射能除染に早急に着手すること
・国が責任をもち、除染は各自治体に委ねること。
・除染活動には地元住民の協力を得て、当面の労働(雇用)の機会とすること。
・避難住民の復帰は、2年程度を目処に取り組むこと(復帰への希望がもてること)。
② 放射能除染に伴う廃棄物の最終処分方法を早急に提示すること
・産業廃棄物でもなく原子炉規正法上の廃棄物でないが、安全な管理処分は極めて容易である。
・広域除染、数千万トンに及ぶ廃棄物の処分場は、各自治体、または県が責任をもって用意すること。
・放射能汚染を除去するためには最終処分場が不可欠であることを住民に理解してもらうことが
必要。(首長の指導力と覚悟を支援する国の協力が不可欠)
・簡便さとコストを考慮しない処理・処分方法は現実性がない。(思いつきの提案は混乱の原因)
③ 住民(福島県民)への適切なアドバイス
・現存被ばく状況にある地域での日常生活のすごし方(ストレスを少なくするための方策)
・空気中ダスト測定結果を踏まえ、マスクや長袖着用、窓を閉め切った生活の無意味さを説くこと。
・汚染地域での農作物へのセシウム取り込み防止の方法を提示すること
・食品摂取に関する基本的な注意
④ 住民に対する健康管理
・小児・子供、女性(妊娠可能)に対するセシウムの健康影響について、住民が納得できる説明が必要(現状は不安と疑心暗鬼で大混乱状態)
・子供への積算線量計の配布については、測定結果をサポートすることが必要。
・個々の住民の被ばく量の推定と長期的な健康管理体制の構築
以上
スライド37
「厳しすぎる食物摂取基準値による被害の拡大」
保守的な仮定
・年平均濃度とピーク濃度の比をEUでは1/10に対して、1/2を仮定 ⇒ 5倍
・Sr-90/Csの比を0.1と仮定(実際は、0.01以下) ⇒ 5%
・食品摂取量について調査結果1365g/日を1600g/日と仮定 ⇒ 17%
・全ての食品が汚染されていると仮定 ⇒ 非現実
・米へのセシウムの移行係数を10%と仮定〈平均データは1%以下)
⇒耕作制限地の拡大
セシウムー137の内部被ばく換算 1mSv/72000Bq
★ 伊達市のキロ当たり580Bq梅を一年間に10kg食べた場合の被ばく量は、75μSv。
★ 神奈川県の新茶から、570Bq/kgのセシウムが検出されたことで、出荷自粛措置がとられたが、これは一年間に135kgのお茶を食べた場合、1mSvになる値である。
☆ 海水浴場の基準:10リットルの海水を飲むと7μSv。
スライド38
被ばく線量基準の決め方、適用には課題が多い
その1:計画的避難区域
100mSvまでは、「直ちに影響のでるレベルではない」といいつつ、来年3月11日まで現在の地に留まって生活を続けた場合、積算線量が20mSvを越えることになるという予測に基づいて避難。
→ 緊急時ひばく状況(年間20-100mSv)
その2:学校の基準
現存被ばく状況(年間1-20mSv)にある福島市や郡山市等の学校の基準は、当初は年間20mSvを適用、その後、年間1mSvを目標とすると訂正。(父兄等の心配と混乱)
→ 成人、子供、妊婦の区別なし。
その3:従事者の緊急時被ばく線量の扱い
福島原発の事故収束に向けた作業者には、緊急時ひばく限度として250mSvが適用されている。一方、通常の職場では、年間50mSv、5年間で100mSvの被ばく限度が適用される。
福島原発での被ばく線量を通常の被ばく線量と別扱いしないという厚生労働省の通達が適用されると、福島原発での作業者はその後、他の職場での仕事が出来なくなる。
→ 緊急時と平常時の基準が交錯(省庁縦割りでは現在の状況は乗り切れない)
その4:放射性廃棄物の基準
廃棄物処理施設の周辺住民被ばくは1mSv/y以下。処理業者も電離則に沿って1mSv/y以下。埋設処分管理期間終了後は10μSv/y(6月3日安全委員会)
→ 福島県の状況を認識しない無責任
ガレキは8000Bq/kg以下なら一般廃棄物として処分可能(環境省)
→ 汚染のスクリーニングは事実上不可能
スライド40
国は住民に対する適切な発信ができていない
・事故当初おいて、適切な原子力防災対応をしなかったことで、避難指示を受けた多くの住民は飯舘村などに避難した。つまり、国の適切な発信がなかったことにより計画的避難区域では無用の被ばく、特に子供達が被ばくをしたということに極めて強い怒りと不信感がある。
・避難を余儀なくされた住民は、戻れるか、いつ戻れるかということで、絶望感と望みの中で揺れ動いている。国は具体的に除染の取組みを始め、こうした不安に応えることが急がれる。また、避難住民の大きな悩みの一つは仕事の喪失であり、住民は除染作業に参画し、安定した仕事を持ちつつ復帰できることを強く希望している。
・福島県民は、放射線被ばくに対して強い懸念を抱いている。特に、子供達の被ばくについての母親の心配は極めて深刻であり、子供達の生活環境の放射線量の低減化を図りつつ、放射線による健康影響について、正しく理解できるような取組みが必要である。
・福島市等の学校では、30度を越すような日でも校舎の窓を閉め切ったり、マスクをして授業を行っているが、これは意味がない。国(文部科学省)の測定では、飯舘村や川俣町も含めて3月末からは特別の対応が必要な空気中の放射能は観測されていないことを踏まえて、適切なアドバイスをすべきである。
同様のことは、洗濯物を外で干すとか、布団を干すということにも当てはまるもので、生活者の立場での適切な発信が大事である。
スライド41
「大気中の放射能」
空気中には放射能がないので、窓をしめたり、マスクをしたり、長袖を着る効果ゼロ。洗濯物、布団も外で乾燥させても問題はない。
スライド42
国(政治)が取組むべき緊急課題
① 国の責任で放射能除染に早急に着手すること
・国が責任をもち、除染は各自治体に委ねること。
・除染活動には地元住民の協力を得て、当面の労働(雇用)の機会とすること。
・避難住民の復帰は、2年程度を目処に取り組むこと(復帰への希望がもてること)。
② 放射能除染に伴う廃棄物の最終処分方法を早急に提示すること
・産業廃棄物でもなく原子炉規正法上の廃棄物でないが、安全な管理処分は極めて容易である。
・広域除染、数千万トンに及ぶ廃棄物の処分場は、各自治体、または県が責任をもって用意すること。
・放射能汚染を除去するためには最終処分場が不可欠であることを住民に理解してもらうことが
必要。(首長の指導力と覚悟を支援する国の協力が不可欠)
・簡便さとコストを考慮しない処理・処分方法は現実性がない。(思いつきの提案は混乱の原因)
③ 住民(福島県民)への適切なアドバイス
・現存被ばく状況にある地域での日常生活のすごし方(ストレスを少なくするための方策)
・空気中ダスト測定結果を踏まえ、マスクや長袖着用、窓を閉め切った生活の無意味さを説くこと。
・汚染地域での農作物へのセシウム取り込み防止の方法を提示すること
・食品摂取に関する基本的な注意
④ 住民に対する健康管理
・小児・子供、女性(妊娠可能)に対するセシウムの健康影響について、住民が納得できる説明が必要(現状は不安と疑心暗鬼で大混乱状態)
・子供への積算線量計の配布については、測定結果をサポートすることが必要。
・個々の住民の被ばく量の推定と長期的な健康管理体制の構築
以上
田中俊一氏講演スライド「放射能に汚染された土壤、瓦礫等の処分」
第四回原発対策国民会議における田中俊一氏の講演スライドより
スライド29
4.放射能に汚染された土壤、瓦礫等の処分
現実に合わない廃棄物処分に関する国の指針は、処分の障害
スライド30
廃棄物処理処分に関する安全確保の当面の考え方
処理
・処理施設の周辺住民の被ばくは1mSv/y以下にすること。
⇒ 除染を行っても福島県の住民の被ばくを1mSv/y以下にすることは不可能な状況
・処理作業者は1mSv/y以下、電離則を遵守して被ばく管理をすること。
⇒ 現状で、この条件は満足することは不可能で、処理は実施できない。
・排気・排水濃度限度以下であることを確認すること。
⇒ 校庭に埋めた場合は管理してない。
処分
・処分した後(管理期間終了後)のめやすは、10μSv/y。
⇒ 管理期間は決めない?
⇒ 校庭に埋めた土壌は管理しないか、管理期間終了のどちらか。
後者であれば、10μSv/y はまもることは不可能。
再生利用
・クリアランスレベル(100Bq/kg)以下、10μSv/y以下。
⇒ 避難区域からの持ち出し品のスクリーニングレベルは、10万cpm(表面400Bq/cm2相当)と相容れない
⇒ 市場流通前の基準以下とすれば、希釈効果を認めている今の基準より厳しく、実質的に再生利用は不可能。
スライド31
福島県内の災害廃棄物の処理方針
焼却灰、不燃物
・8000Bq/kg以下である主灰は、一般廃棄物採集処分場(管理型最終処分場)で埋設可能。
⇒ 廃棄物の放射能濃度の確認は、現地のバックグランドレベルが高くて実質的に不可能
(時間とコストをかければ可能)
・10万Bq/kgを越える場合は、放射線を遮へいできる施設で保管。国によって処分の安全性が確認されるまでの間、一次保管。
⇒ 大量の廃棄物を保管できる場所はない。したがって、処理できない。
再生利用
・安全委員会と同じ
その他
・焼却、埋立処分、再生利用については、施設の排気、処分場の排水等について適切かつ定期的な放射能濃度の測定。
・焼却灰を保管する量や放射能濃度を記録
⇒ 一般廃棄物処理場を放射性廃棄物処理施設と同じ考え方で扱うことで、誰が事業主体となるのか。許可は誰がどのように出すのか不明(環境省?)
・作業者には電離則を適用1mSv/y以下。
⇒ 処理は不可能。一般住民は子供も含めて1mSv/y以上でもよいということとの矛盾。
・施設の管理主体等については、民間業者の管理処分施設もありうる。
⇒ 放射性廃棄物であれば、長期の安全確保を含めて国(または、県、自治体)が責任をもつべき。
スライド32
現実(緊急時)に合った対応が必要
• 福島県を汚染している核種としては、137Csと134Csを考慮すればよい。
• ほとんどの地域で汚染除去によって排出される廃棄物濃度は、10万Bq/kg以下である。廃棄物濃度は地域ごとのスクリーニングが現実的である。
• 廃棄物の種類は、多様であり混在しているので、放射能濃度のスクリーニングは極めて困難で、分別効果はコスト高となるだけである。
• 放射性廃棄物は、各市町村で数百万トンになる。福島県全域では数千万トンか?
• できるだけ速やかに除染を行う必要がある。既に、大量の廃棄物が排出されており、福島県はパニック状況。
• 他の県でも下水処理施設の汚泥を最終処分する場所がない。最終処分場がなければ、いづれは問題になる。
既存の考え方、既存の基準・規則は現実に合わない。廃棄物の分別、縮減、再利用の考え方は、一旦捨てることが必要。
スライド33
国は、福島県及び自治体と協力して、放射能除染の前提となる放射性廃棄物の管理型処分場(トレンチ型)の実現を図る責任がある!
・土壌、草、樹木、コンクリート屑、汚泥など、除染をすれば廃棄物がでるので、これを集積して安全に処分できる場所の確保が必要である。
・瓦礫、除染廃棄物のセシウムの濃度はほとんど10万Bq/kg以下であり、トレンチ型の放射性廃棄物場であれば処分可能。
・放射性廃棄物は、放射能が減って安全になるまでは管理処分するのが鉄則である。
・管理処分場で常に放射能の監視を続ければ、安全は担保できる。特に、セシウムはベントナイトやゼオライトに吸着されると動かないので、管理が容易である。
茨城県東海村では、20年ほど前に我が国最初の試験用原子力発電所を解体し、放射能の低いコンクリート等をトレンチ型と呼ぶ処分場に埋めた実績がある。
村上村長のメッセージ
「私は原子力についての素人でありますので確たる事は申し上げられませんが、十分に研究された後実施された方法であることから何ら懸念するものはございません。ただ、私共地元民としては、埋設以後十分な期間モニタリングしてくれることを望んでおり、そのことで安心が得られるものと思っております。望んでいることは、このことのみで不安は全くございませんと云えます。」
スライド34
「セシウムに汚染した廃棄土壌等の管理処分場」
・ベントナイト中でのセシウムの300年間の移動距離は0.1mm
⇒ 数mmのベントナイト層を設ける事でセシウムの閉じ込めが可能。
・排水中のCs-137濃度を連続モニターで監視
・排水中のCs-137濃度が基準を上回った時には、ゼオライト吸着塔などを用いて排水を処理
・覆土を100cmすれば、放射線量は0.0001μSv/h以下
スライド35
「実績のある埋設処分場(東海村)」
①地下水の少ない場所に、
②遮水性及び閉じ込め能力の高い土(粘土など)で囲んで、
③十分な厚さの土砂で覆う。
④放射性物質の地下の挙動をシュミレーションで予測するとともに、
⑤周りへの影響が無いことを十分な期間モニタリングする。
セシウムは、土壌中の粘土成分と結合し、動きは非常に緩慢な性質に着目
スライド29
4.放射能に汚染された土壤、瓦礫等の処分
現実に合わない廃棄物処分に関する国の指針は、処分の障害
スライド30
廃棄物処理処分に関する安全確保の当面の考え方
原子力安全委員会(6月3日)
処理
・処理施設の周辺住民の被ばくは1mSv/y以下にすること。
⇒ 除染を行っても福島県の住民の被ばくを1mSv/y以下にすることは不可能な状況
・処理作業者は1mSv/y以下、電離則を遵守して被ばく管理をすること。
⇒ 現状で、この条件は満足することは不可能で、処理は実施できない。
・排気・排水濃度限度以下であることを確認すること。
⇒ 校庭に埋めた場合は管理してない。
処分
・処分した後(管理期間終了後)のめやすは、10μSv/y。
⇒ 管理期間は決めない?
⇒ 校庭に埋めた土壌は管理しないか、管理期間終了のどちらか。
後者であれば、10μSv/y はまもることは不可能。
再生利用
・クリアランスレベル(100Bq/kg)以下、10μSv/y以下。
⇒ 避難区域からの持ち出し品のスクリーニングレベルは、10万cpm(表面400Bq/cm2相当)と相容れない
⇒ 市場流通前の基準以下とすれば、希釈効果を認めている今の基準より厳しく、実質的に再生利用は不可能。
スライド31
福島県内の災害廃棄物の処理方針
環境省(6月23日)
焼却灰、不燃物
・8000Bq/kg以下である主灰は、一般廃棄物採集処分場(管理型最終処分場)で埋設可能。
⇒ 廃棄物の放射能濃度の確認は、現地のバックグランドレベルが高くて実質的に不可能
(時間とコストをかければ可能)
・10万Bq/kgを越える場合は、放射線を遮へいできる施設で保管。国によって処分の安全性が確認されるまでの間、一次保管。
⇒ 大量の廃棄物を保管できる場所はない。したがって、処理できない。
再生利用
・安全委員会と同じ
その他
・焼却、埋立処分、再生利用については、施設の排気、処分場の排水等について適切かつ定期的な放射能濃度の測定。
・焼却灰を保管する量や放射能濃度を記録
⇒ 一般廃棄物処理場を放射性廃棄物処理施設と同じ考え方で扱うことで、誰が事業主体となるのか。許可は誰がどのように出すのか不明(環境省?)
・作業者には電離則を適用1mSv/y以下。
⇒ 処理は不可能。一般住民は子供も含めて1mSv/y以上でもよいということとの矛盾。
・施設の管理主体等については、民間業者の管理処分施設もありうる。
⇒ 放射性廃棄物であれば、長期の安全確保を含めて国(または、県、自治体)が責任をもつべき。
スライド32
現実(緊急時)に合った対応が必要
• 福島県を汚染している核種としては、137Csと134Csを考慮すればよい。
• ほとんどの地域で汚染除去によって排出される廃棄物濃度は、10万Bq/kg以下である。廃棄物濃度は地域ごとのスクリーニングが現実的である。
• 廃棄物の種類は、多様であり混在しているので、放射能濃度のスクリーニングは極めて困難で、分別効果はコスト高となるだけである。
• 放射性廃棄物は、各市町村で数百万トンになる。福島県全域では数千万トンか?
• できるだけ速やかに除染を行う必要がある。既に、大量の廃棄物が排出されており、福島県はパニック状況。
• 他の県でも下水処理施設の汚泥を最終処分する場所がない。最終処分場がなければ、いづれは問題になる。
↓
既存の考え方、既存の基準・規則は現実に合わない。廃棄物の分別、縮減、再利用の考え方は、一旦捨てることが必要。
スライド33
国は、福島県及び自治体と協力して、放射能除染の前提となる放射性廃棄物の管理型処分場(トレンチ型)の実現を図る責任がある!
・土壌、草、樹木、コンクリート屑、汚泥など、除染をすれば廃棄物がでるので、これを集積して安全に処分できる場所の確保が必要である。
・瓦礫、除染廃棄物のセシウムの濃度はほとんど10万Bq/kg以下であり、トレンチ型の放射性廃棄物場であれば処分可能。
・放射性廃棄物は、放射能が減って安全になるまでは管理処分するのが鉄則である。
・管理処分場で常に放射能の監視を続ければ、安全は担保できる。特に、セシウムはベントナイトやゼオライトに吸着されると動かないので、管理が容易である。
茨城県東海村では、20年ほど前に我が国最初の試験用原子力発電所を解体し、放射能の低いコンクリート等をトレンチ型と呼ぶ処分場に埋めた実績がある。
村上村長のメッセージ
「私は原子力についての素人でありますので確たる事は申し上げられませんが、十分に研究された後実施された方法であることから何ら懸念するものはございません。ただ、私共地元民としては、埋設以後十分な期間モニタリングしてくれることを望んでおり、そのことで安心が得られるものと思っております。望んでいることは、このことのみで不安は全くございませんと云えます。」
スライド34
「セシウムに汚染した廃棄土壌等の管理処分場」
・ベントナイト中でのセシウムの300年間の移動距離は0.1mm
⇒ 数mmのベントナイト層を設ける事でセシウムの閉じ込めが可能。
・排水中のCs-137濃度を連続モニターで監視
・排水中のCs-137濃度が基準を上回った時には、ゼオライト吸着塔などを用いて排水を処理
・覆土を100cmすれば、放射線量は0.0001μSv/h以下
スライド35
「実績のある埋設処分場(東海村)」
①地下水の少ない場所に、
②遮水性及び閉じ込め能力の高い土(粘土など)で囲んで、
③十分な厚さの土砂で覆う。
④放射性物質の地下の挙動をシュミレーションで予測するとともに、
⑤周りへの影響が無いことを十分な期間モニタリングする。
セシウムは、土壌中の粘土成分と結合し、動きは非常に緩慢な性質に着目
田中俊一氏講演スライド「福島県の汚染の実態」
6月3日(金):福島大学行政政策学類が田中俊一氏を招いて「福島における放射能除染のあり方について」(リンク先youtube)という学習会を開催。
7月6日(水):原発対策国民会議が第四回の開催時に田中俊一氏を招いて「周辺放射能対策の重要課題」について協議。
第四回原発対策国民会議における田中俊一氏の講演スライド(リンク先pdf)中、6月3日の学習会に出ていない情報を抜粋。
スライド1
「環境へ放出された放射能除去の必要性と課題」
1.福島第1原発事故により放出された放射能
2.飯舘村長泥地区での放射能除染試験
3.福島県の汚染の実態4.放射能に汚染された土壌等の集積処分場
5.その他課題
① 食物摂取基準値
② 被ばく線量基準の決め方、適用
③ 住民に対する適切な発信
国(政治)が取組むべき緊急課題
スライド5
「現存被ばく状況にある地域(福島市、郡山市、二本松市等の中通り)の放射能汚染除染の必要性」
汚染の状況
・計画的避難区域ほどではないが、市街地、道路(コンクリート)、側溝、花壇、芝生、庭、屋根など
が広範囲に汚染し、空間の放射線量は年間数mSv~10数mSvのレベルである。
汚染除去の必要性
・年間20mSvを基準とし、空間線量率を3.8μSv/hを目安にしたが、ICRPのは汚染除去の努力を
して年間1mSvを目指すべきとしており、被ばく線量を下げる努力は国の責任である。
・特に、幼児・子供の被ばく線量は、最低でも成人の3分の1以下にするのが国際的合意である。
(18歳未満は、放射線管理区域での作業は許可されていないことも考慮すべき)
・住民に放射線被ばくに対する深刻な心配とパニックを引き起こし、その状況は極めて懸念される状況にある。特に、放射線被ばくの影響ついての国の説明が一貫性を欠いていることに加えて、多くの専門家の意見がバラバラで、住民の不信は頂点に達している。
年間100mSv以下、あるいは20mSv以下は、健康影響がないという説明は、科学的正確さに欠き、住民の不信を増加させるだけであり、放射線量を住民とともに下げる努力をしながら、放射線被ばくに関する住民との対話ができる状況を取り戻すことが重要で、それ以外に対話の道を開くことは不可能。
スライド20
「3.福島県の汚染の実態」
森羅万象は高い濃度の放射能に汚染されていることを認識する必要がある
スライド21
(牧草地の)土壌層には放射性物質はほとんど存在しない。
草地は、草の根元と土の表面に大部分のセシウムが留まっているので、これを丁寧に薄く剥ぎ取る。
杉や広葉樹の葉や枝にセシウムが取り込まれている。これは、水洗いしても落ちないので、できるだけ枝払いをする。
スライド22
スギの枝の放射能は、時間とともに内部に移動するので、早めに伐採することが望ましい
スライド23
「学校周囲の放射線量率」
校庭を安心して利用するためには、放射線量率を下げることが必要であり、校庭の土壌だけでなく、周囲の土手や樹木の放射能を除去する必要がある。
埋設地表面:0.25μSv/h 1m:0.5 μSv/h
ヒバ垣根・植込:1.4-3.7μSv/h
ジャングルジム:0.7-1 μSv/h
土手:3-5μSv/h
スライド24
「学校周囲の放射線量率」
校舎前のコンクリートからの放射線は、校舎内の放射線量に大きな影響を与えるので線量を下げるためには広い面積のコンクリートに付着している放射能を除去することが必要です。
コンクリートの割れ目には、周囲より多くの放射能が着いているので、これを丹念に取り除くことも必要であるが、こうした部分的な放射能は、被ばく線量にはあまり効かない。
表面:2-3 μSv/h 1m: 1.4-1.8 Sv/h
(割れ目):6-8μSv/h
スライド25
「学校周囲の放射線量率」
ベランダや屋上は教室との距離が近いので、校舎内での被ばく線量を下げるためには屋上やベランダの放射能も出来るだけ除去することが必要である。
屋根、雨樋
ベランダ3F:0.2-1μSv/h
屋上:0.6-1.6μSv/h
排水口:2.3μSv/h
コンクリート表面:2-2.4μSv/h
スライド26
「学校周囲の放射線量率」
プールの水は、放射能を取り除いてから排水し、プール底や壁、及び周囲の放射能を除染し、新しい水は循環しながら放射能(セシウム)を連続的に除去することで、遊泳可能にする。目標は海水浴場の基準である1リットルあたり50ベクレル以下。
屋根、雨樋の除染
常緑樹は深い剪定
プール周囲表面:1.5-2 μSv/h
プール側溝:6-8μSv/h
スライド27
「学校周囲の放射線量率」
校舎の裏側の土壌や叢に沈着している放射能は、校舎内の放射線量に大きな寄与があるので、これを丹念に取り除くことが必要である。
校舎裏:5 μSv/h
体育館の裏手表面: 33μSv/h
校舎裏(給食室裏)枯草: 2.5μSv/h
スライド28
「幼稚園周囲の放射線量率」
幼稚園の玄関の敷石には、グランドと比べると数倍の放射能が付着している。特に溝の部分は倍ぐらいである。
幼稚園内の放射線量をより下げるためには、敷石の放射能や屋根・雨樋などの放射能、それにグランド周囲の常緑樹の枝払いが必要である。
(敷石):1.9μSv/h
(敷石へり):3.0μSv/h
7月6日(水):原発対策国民会議が第四回の開催時に田中俊一氏を招いて「周辺放射能対策の重要課題」について協議。
第四回原発対策国民会議における田中俊一氏の講演スライド(リンク先pdf)中、6月3日の学習会に出ていない情報を抜粋。
スライド1
「環境へ放出された放射能除去の必要性と課題」
1.福島第1原発事故により放出された放射能
2.飯舘村長泥地区での放射能除染試験
3.福島県の汚染の実態4.放射能に汚染された土壌等の集積処分場
5.その他課題
① 食物摂取基準値
② 被ばく線量基準の決め方、適用
③ 住民に対する適切な発信
国(政治)が取組むべき緊急課題
スライド5
「現存被ばく状況にある地域(福島市、郡山市、二本松市等の中通り)の放射能汚染除染の必要性」
汚染の状況
・計画的避難区域ほどではないが、市街地、道路(コンクリート)、側溝、花壇、芝生、庭、屋根など
が広範囲に汚染し、空間の放射線量は年間数mSv~10数mSvのレベルである。
汚染除去の必要性
・年間20mSvを基準とし、空間線量率を3.8μSv/hを目安にしたが、ICRPのは汚染除去の努力を
して年間1mSvを目指すべきとしており、被ばく線量を下げる努力は国の責任である。
・特に、幼児・子供の被ばく線量は、最低でも成人の3分の1以下にするのが国際的合意である。
(18歳未満は、放射線管理区域での作業は許可されていないことも考慮すべき)
・住民に放射線被ばくに対する深刻な心配とパニックを引き起こし、その状況は極めて懸念される状況にある。特に、放射線被ばくの影響ついての国の説明が一貫性を欠いていることに加えて、多くの専門家の意見がバラバラで、住民の不信は頂点に達している。
年間100mSv以下、あるいは20mSv以下は、健康影響がないという説明は、科学的正確さに欠き、住民の不信を増加させるだけであり、放射線量を住民とともに下げる努力をしながら、放射線被ばくに関する住民との対話ができる状況を取り戻すことが重要で、それ以外に対話の道を開くことは不可能。
スライド20
「3.福島県の汚染の実態」
森羅万象は高い濃度の放射能に汚染されていることを認識する必要がある
スライド21
(牧草地の)土壌層には放射性物質はほとんど存在しない。
草地は、草の根元と土の表面に大部分のセシウムが留まっているので、これを丁寧に薄く剥ぎ取る。
杉や広葉樹の葉や枝にセシウムが取り込まれている。これは、水洗いしても落ちないので、できるだけ枝払いをする。
スライド22
スギの枝の放射能は、時間とともに内部に移動するので、早めに伐採することが望ましい
スライド23
「学校周囲の放射線量率」
校庭を安心して利用するためには、放射線量率を下げることが必要であり、校庭の土壌だけでなく、周囲の土手や樹木の放射能を除去する必要がある。
埋設地表面:0.25μSv/h 1m:0.5 μSv/h
ヒバ垣根・植込:1.4-3.7μSv/h
ジャングルジム:0.7-1 μSv/h
土手:3-5μSv/h
スライド24
「学校周囲の放射線量率」
校舎前のコンクリートからの放射線は、校舎内の放射線量に大きな影響を与えるので線量を下げるためには広い面積のコンクリートに付着している放射能を除去することが必要です。
コンクリートの割れ目には、周囲より多くの放射能が着いているので、これを丹念に取り除くことも必要であるが、こうした部分的な放射能は、被ばく線量にはあまり効かない。
表面:2-3 μSv/h 1m: 1.4-1.8 Sv/h
(割れ目):6-8μSv/h
スライド25
「学校周囲の放射線量率」
ベランダや屋上は教室との距離が近いので、校舎内での被ばく線量を下げるためには屋上やベランダの放射能も出来るだけ除去することが必要である。
屋根、雨樋
ベランダ3F:0.2-1μSv/h
屋上:0.6-1.6μSv/h
排水口:2.3μSv/h
コンクリート表面:2-2.4μSv/h
スライド26
「学校周囲の放射線量率」
プールの水は、放射能を取り除いてから排水し、プール底や壁、及び周囲の放射能を除染し、新しい水は循環しながら放射能(セシウム)を連続的に除去することで、遊泳可能にする。目標は海水浴場の基準である1リットルあたり50ベクレル以下。
屋根、雨樋の除染
常緑樹は深い剪定
プール周囲表面:1.5-2 μSv/h
プール側溝:6-8μSv/h
スライド27
「学校周囲の放射線量率」
校舎の裏側の土壌や叢に沈着している放射能は、校舎内の放射線量に大きな寄与があるので、これを丹念に取り除くことが必要である。
校舎裏:5 μSv/h
体育館の裏手表面: 33μSv/h
校舎裏(給食室裏)枯草: 2.5μSv/h
スライド28
「幼稚園周囲の放射線量率」
幼稚園の玄関の敷石には、グランドと比べると数倍の放射能が付着している。特に溝の部分は倍ぐらいである。
幼稚園内の放射線量をより下げるためには、敷石の放射能や屋根・雨樋などの放射能、それにグランド周囲の常緑樹の枝払いが必要である。
(敷石):1.9μSv/h
(敷石へり):3.0μSv/h
2011年8月2日火曜日
本朝文雄百人一首 巴女 歌川国芳
Tomoe-jo, from the series One Hundred Poets from the Literary Heroes of Our Country (Honchô bun'yû hyakunin isshu) / Kuniyoshi
本朝文雄百人一首 巴女 歌川国芳 1842~1843年頃
"權頭兼遠が女(むすめ)木曽義仲の妾(せふ)武勇力量人に越え無双の美人なり義仲亡びて後 和田義盛に嫁し一子を産 義秀これ也 和田合戦後越中に尼となり引篭(ひきこもり)九十余才まで壽ける"
"おほ空に月のひかりもきよけれバ 影見し水ぞ まづこほりける ともへ"
古今和歌集 巻第六 冬歌 三一六 題しらず よみ人しらず
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづ凍ける
本朝文雄百人一首 巴女 歌川国芳 1842~1843年頃
"權頭兼遠が女(むすめ)木曽義仲の妾(せふ)武勇力量人に越え無双の美人なり義仲亡びて後 和田義盛に嫁し一子を産 義秀これ也 和田合戦後越中に尼となり引篭(ひきこもり)九十余才まで壽ける"
"おほ空に月のひかりもきよけれバ 影見し水ぞ まづこほりける ともへ"
古今和歌集 巻第六 冬歌 三一六 題しらず よみ人しらず
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづ凍ける
古根本朝名女百傳 巴御前 歌川国芳
Tomoe Gozen, from the series One Hundred Stories of Famous Women of Japan, Ancient and Modern (Kokon honchô meijo hyakuden) / Kuniyoshi
古根本朝名女百傳 巴御前 歌川国芳 1843年頃
"和田義盛の内室となる木曽殿打死の時生捕となつて鎌倉へひかれしに頼朝公かねて巴が勇力をきこしめされその力をためし玉ハんと御前に召いだしいかに巴とやらん主家の大事に力やおちけんとのたまふをきいて寛尓(につこ)とわらひ座をたつて柳営の真中に建たる柱に諸手をかけ左のミ(さのみ)力もいれざる様にてアイと一トゆりゆりけれバ殿中地震(ない)のふるふが如くいまや御舘(みたち)もくづれんとする大将はじめ仕候の面/\其怪力を懼(おそれ)けるとぞ ひきぬきし松ばかりかと? こころねも をれてふたゝび つまさだめせし 柳下亭種員記"
古根本朝名女百傳 巴御前 歌川国芳 1843年頃
"和田義盛の内室となる木曽殿打死の時生捕となつて鎌倉へひかれしに頼朝公かねて巴が勇力をきこしめされその力をためし玉ハんと御前に召いだしいかに巴とやらん主家の大事に力やおちけんとのたまふをきいて寛尓(につこ)とわらひ座をたつて柳営の真中に建たる柱に諸手をかけ左のミ(さのみ)力もいれざる様にてアイと一トゆりゆりけれバ殿中地震(ない)のふるふが如くいまや御舘(みたち)もくづれんとする大将はじめ仕候の面/\其怪力を懼(おそれ)けるとぞ ひきぬきし松ばかりかと? こころねも をれてふたゝび つまさだめせし 柳下亭種員記"
震災に関する茅野市の取り組み 「ふくしまっ子の夏休み」関連
長野県 茅野市役所/震災に関する茅野市の取り組み
7月15日(金曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第27回)
○カタログハウスの企画への支援状況(7月12日「ふくしまっ子の夏休み」実行委員会が発足)
7月25日から第1期の受入れが始まる。市も協力していく。
7月25日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第28回)
○カタログハウスの被災者支援事業…活動支援の打合せを本日(7月25日)10時から
●社協で活動応援ボランティアを募集中
○社会福祉協議会が支援物資提供の募集(夏服と下着)
8月1日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第29回)
○カタログハウスによる被災者支援事業(「ふくしまっ子の夏休み」7/25~7/31)
第1クール参加者:250人
(子どもが140人うち6歳以下の幼児が3分の1、別にカタログハウスのスタッフ9人)
ボランティア「思い出づくり応援隊」の参加状況
火曜日:「車山に登ろう隊」ボランティア2名・社協職員1名・市職員1名
水曜日:「縄文の里で遊ぼう隊」ボランティア3名・市職員2名
金曜日:「魚をつかんでバーベキュー隊」ボランティア2名・社協職員3名・市職員5名(当日中止になる)
土曜日:「宿題やったら遊ぼう隊」ボランティア1名・社協職員3名・市職員8名
全体報告:こどもには、喜んでもらっている。ボランティアの申込みが低調である。
○空間放射線量の測定結果 7月26日(火曜日)
茅野市役所:庁舎屋上→0.05(μSv/h)、地上1m→0.06(μSv/h)
豊平小学校:地上1m→0.06(μSv/h)、地上50cm→0.07(μSv/h)、地表→0.06(μSv/h)
いずれも健康に影響のない値でした。
8月8日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第30回)
○カタログハウスによる被災者支援事業(「ふくしまっ子の夏休み」8月1日~7日)
第2クール参加者:190人
茅野どんばんの踊り連へ30人参加
8月24日(水曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第31回)
○カタログハウスによる被災者支援事業「ふくしまっ子の夏休み」
第3クール(8月15日~8月21日)参加者:200人
第4クール(8月22日~8月28日)参加者:約190人
9月14日(水曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第32回)
○石巻市への災害ボランティアパック(第4回)
9月20日~9月23日、ボランティア14名、社協職員2名、運転手2名の計18名で実施
○カタログハウスによる被災者支援事業「ふくしまっ子の夏休み」
参加者(1期~4期)大人294人、子ども519人、計813人、
思い出作り応援隊の延べ人数、ボランティア61人、社協職員12人、市職員28人、計101人
市営温泉施設利用の延べ人数、1,763人
●協議事項
○10月1日以降の地震災害被災者・避難者への支援体制
(1)支援に関する指針の見直し
種別と支援内容「地震・津波被害と放射線被害の2種別」とする。(別紙「地震災害被災者・避難者の支援に関する指針(平成23年9月14日決定)」による。)
適用範囲「この指針は、被災者の現況を確認する時点において、継続して避難を余儀なくされている場合に適用する。」実施期間「当面平成24年3月31日までとする。」
○10月1日以降の民営宿泊施設での被災者受け入れ支援事業
「東日本大震災及び長野県北部地震による民間営業宿泊施設での被災者受入支援に関する要綱」の実施期間を平成24年3月31日までとする。
「東日本大震災及び長野県北部地震による民間営業宿泊施設での被災者受入支援に関する運用細則」の被災者条件を満たす者とは、被災者の現況を確認する時点において、継続して避難を余儀なくされている場合に適用する。
7月15日(金曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第27回)
○カタログハウスの企画への支援状況(7月12日「ふくしまっ子の夏休み」実行委員会が発足)
7月25日から第1期の受入れが始まる。市も協力していく。
7月25日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第28回)
○カタログハウスの被災者支援事業…活動支援の打合せを本日(7月25日)10時から
●社協で活動応援ボランティアを募集中
○社会福祉協議会が支援物資提供の募集(夏服と下着)
8月1日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第29回)
○カタログハウスによる被災者支援事業(「ふくしまっ子の夏休み」7/25~7/31)
第1クール参加者:250人
(子どもが140人うち6歳以下の幼児が3分の1、別にカタログハウスのスタッフ9人)
ボランティア「思い出づくり応援隊」の参加状況
火曜日:「車山に登ろう隊」ボランティア2名・社協職員1名・市職員1名
水曜日:「縄文の里で遊ぼう隊」ボランティア3名・市職員2名
金曜日:「魚をつかんでバーベキュー隊」ボランティア2名・社協職員3名・市職員5名(当日中止になる)
土曜日:「宿題やったら遊ぼう隊」ボランティア1名・社協職員3名・市職員8名
全体報告:こどもには、喜んでもらっている。ボランティアの申込みが低調である。
○空間放射線量の測定結果 7月26日(火曜日)
茅野市役所:庁舎屋上→0.05(μSv/h)、地上1m→0.06(μSv/h)
豊平小学校:地上1m→0.06(μSv/h)、地上50cm→0.07(μSv/h)、地表→0.06(μSv/h)
いずれも健康に影響のない値でした。
8月8日(月曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第30回)
○カタログハウスによる被災者支援事業(「ふくしまっ子の夏休み」8月1日~7日)
第2クール参加者:190人
茅野どんばんの踊り連へ30人参加
8月24日(水曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第31回)
○カタログハウスによる被災者支援事業「ふくしまっ子の夏休み」
第3クール(8月15日~8月21日)参加者:200人
第4クール(8月22日~8月28日)参加者:約190人
9月14日(水曜日) 地震災害茅野市支援対策本部員会議(第32回)
○石巻市への災害ボランティアパック(第4回)
9月20日~9月23日、ボランティア14名、社協職員2名、運転手2名の計18名で実施
○カタログハウスによる被災者支援事業「ふくしまっ子の夏休み」
参加者(1期~4期)大人294人、子ども519人、計813人、
思い出作り応援隊の延べ人数、ボランティア61人、社協職員12人、市職員28人、計101人
市営温泉施設利用の延べ人数、1,763人
●協議事項
○10月1日以降の地震災害被災者・避難者への支援体制
(1)支援に関する指針の見直し
種別と支援内容「地震・津波被害と放射線被害の2種別」とする。(別紙「地震災害被災者・避難者の支援に関する指針(平成23年9月14日決定)」による。)
適用範囲「この指針は、被災者の現況を確認する時点において、継続して避難を余儀なくされている場合に適用する。」実施期間「当面平成24年3月31日までとする。」
○10月1日以降の民営宿泊施設での被災者受け入れ支援事業
「東日本大震災及び長野県北部地震による民間営業宿泊施設での被災者受入支援に関する要綱」の実施期間を平成24年3月31日までとする。
「東日本大震災及び長野県北部地震による民間営業宿泊施設での被災者受入支援に関する運用細則」の被災者条件を満たす者とは、被災者の現況を確認する時点において、継続して避難を余儀なくされている場合に適用する。
あさイチ【特集】除染 環境を取り戻せるか? 専門家ゲスト:田中俊一さん
あさイチ【特集】除染 環境を取り戻せるか? 専門家ゲスト:田中俊一さん 2011年8月2日(火)より
除染のポイント(モニタリング)
ホットスポットを探す目的で放射線測定器を使用する際は、ビニール袋に入れてベタ置きで測定したほうが良い。
・他のスポットからの放射線をなるべく受けないように計測するため
・相対的な高低を計測すれば良いため
除染のポイント(実践編)
・ビニール手袋を使い捨てにする。服装は軽装でも良い。作業後の洗濯は風呂でざっと水洗いしてからの方が良い。
・草を抜いたら土を落とさないように(草の根元数センチのところに放射性セシウムがあるため)
・"窓などは回すように拭くのではなく、一方向に拭いて一か所に放射性物質を集め、ぬぐい取る。(その雑巾などはそのまま捨てる)"
除染のポイント(仮置き)
・除染で出た廃棄物は厚手のビニール袋に詰める。
・"なるべく家から離す(距離の二乗に反比例して放射線量は減る)"
・"廃棄物を入れた袋の放射線量を測定、その線量を袋に書き入れる。"
・"土を掘ってその穴に放射線量の高い数値の袋から下にして埋める。"
・放射線量の低い袋で高い袋を遮蔽するように重ねていく
・"だんだんと低い線量の袋を重ね、最後に土のうや土を上にかける。(20センチの土で覆えば線量は5分の1~10分の1になる)"
除染のポイント(モニタリング)
ホットスポットを探す目的で放射線測定器を使用する際は、ビニール袋に入れてベタ置きで測定したほうが良い。
・他のスポットからの放射線をなるべく受けないように計測するため
・相対的な高低を計測すれば良いため
除染のポイント(実践編)
・ビニール手袋を使い捨てにする。服装は軽装でも良い。作業後の洗濯は風呂でざっと水洗いしてからの方が良い。
・草を抜いたら土を落とさないように(草の根元数センチのところに放射性セシウムがあるため)
・"窓などは回すように拭くのではなく、一方向に拭いて一か所に放射性物質を集め、ぬぐい取る。(その雑巾などはそのまま捨てる)"
除染のポイント(仮置き)
・除染で出た廃棄物は厚手のビニール袋に詰める。
・"なるべく家から離す(距離の二乗に反比例して放射線量は減る)"
・"廃棄物を入れた袋の放射線量を測定、その線量を袋に書き入れる。"
・"土を掘ってその穴に放射線量の高い数値の袋から下にして埋める。"
・放射線量の低い袋で高い袋を遮蔽するように重ねていく
・"だんだんと低い線量の袋を重ね、最後に土のうや土を上にかける。(20センチの土で覆えば線量は5分の1~10分の1になる)"
2011年7月31日日曜日
東海道五十三對 藤枝 歌川国芳
Fujieda / Tokaido gojusan-tsui (Fifty-three pairings along the Tokaido Road) / Kuniyoshi
東海道五十三對 藤枝 歌川国芳 1845年頃
"熊谷次郎直実佛門に入て上洛し黒谷の法然上人の弟子となり蓮生法師と改め故郷へかへる道 藤枝の駅に宿せし家にて鳥目壱〆文(いつくわんもん)を上洛まで借用して其質物(しちもつ)に十念を授け故郷へ帰り其後又上洛の砌壱〆文を返し預け置し十念を今又我に玉ハれといふにいと安き事と十念を返す不思議なるハ初め十念を受し時 池に蓮華十茎咲出たるが今返す時念佛一遍に一茎づゝ消失せり此奇特を感じ責て一ぺんハ我に残し玉ハれと願へバ念佛一遍を与へ上洛しける夫より此家を寺となし蓮生寺と号するなり"
東海道五十三對 藤枝 歌川国芳 1845年頃
"熊谷次郎直実佛門に入て上洛し黒谷の法然上人の弟子となり蓮生法師と改め故郷へかへる道 藤枝の駅に宿せし家にて鳥目壱〆文(いつくわんもん)を上洛まで借用して其質物(しちもつ)に十念を授け故郷へ帰り其後又上洛の砌壱〆文を返し預け置し十念を今又我に玉ハれといふにいと安き事と十念を返す不思議なるハ初め十念を受し時 池に蓮華十茎咲出たるが今返す時念佛一遍に一茎づゝ消失せり此奇特を感じ責て一ぺんハ我に残し玉ハれと願へバ念佛一遍を与へ上洛しける夫より此家を寺となし蓮生寺と号するなり"
2011年7月30日土曜日
百人一首之内 大納言経信 歌川国芳
Poem by Dainagon Tsunenobu, from the series of One Hundred Poems by One Hundred Poets (Hyakunin-issu no uchi) / Kuniyoshi
百人一首之内 大納言経信 歌川国芳 1840~1842年頃
"夕されば門田のいなばおとづれて あしのまろやに秋風ぞ吹く 金葉集秋の部に入る?この詞書に師賢朝臣乃梅津の山里に人々まかりて田家の秋風といふことをよめる歌とあり夕されバは夕暮のさま也芦のまろやとハ芦にて造れる家にてその門田の稲葉ゆへ秋風にそよぐ風情ものかなしくえもいわれぬ趣きを述たるなり"
"六条に住ける頃九月の月の夜にきぬたの音聞こえけれバ から衣擣(う)つこゑきけバ月きよミまだねぬ人を空にしる哉 と詠じけるをりから鬼神詩を吟ずるの図"
"経信の師大納言、八条わたりにすみ給ける頃、九月はかりに、月のあかゝりけるに、なかめしておはしけり。きぬたのをとのほのかにきこえ侍れは、四条大納言の歌、から衣うつ声きけは月きよみまたねぬ人を空にしる哉 と詠し給に、前栽の方に、北斗星前横旅鳫 南楼月下擣寒衣 と云詩を、実におそろしき声して、たからかに詠する物有。誰はかりかく目出き声したらんと覚て、おとろきてみやり給に、長一丈五六尺も侍らんとおほえて、髪のさかさまにおひたるものにて侍り。こはいかに、八幡大菩薩、たすけさせ給へと祈念し給へるに、此もの、なにかはたゝりをなすへきとて、かきけちうせ侍りぬ。さたかに、いかなるものの姿とは、よくも覚すと語給へりけり。朱雀門の鬼なんとにや侍りけん。それこそ其頃さやうのすき物にては侍しか。" 「撰集抄」<巻八第二七 四条大納言・歌>
北斗星前横旅鳫 北斗の星の前に旅雁横たはり
南楼月下擣寒衣 南楼の月の下には寒衣を擣(う)つ
劉元叔「妾薄命」より『和漢朗詠集』346
百人一首之内 大納言経信 歌川国芳 1840~1842年頃
"夕されば門田のいなばおとづれて あしのまろやに秋風ぞ吹く 金葉集秋の部に入る?この詞書に師賢朝臣乃梅津の山里に人々まかりて田家の秋風といふことをよめる歌とあり夕されバは夕暮のさま也芦のまろやとハ芦にて造れる家にてその門田の稲葉ゆへ秋風にそよぐ風情ものかなしくえもいわれぬ趣きを述たるなり"
"六条に住ける頃九月の月の夜にきぬたの音聞こえけれバ から衣擣(う)つこゑきけバ月きよミまだねぬ人を空にしる哉 と詠じけるをりから鬼神詩を吟ずるの図"
"経信の師大納言、八条わたりにすみ給ける頃、九月はかりに、月のあかゝりけるに、なかめしておはしけり。きぬたのをとのほのかにきこえ侍れは、四条大納言の歌、から衣うつ声きけは月きよみまたねぬ人を空にしる哉 と詠し給に、前栽の方に、北斗星前横旅鳫 南楼月下擣寒衣 と云詩を、実におそろしき声して、たからかに詠する物有。誰はかりかく目出き声したらんと覚て、おとろきてみやり給に、長一丈五六尺も侍らんとおほえて、髪のさかさまにおひたるものにて侍り。こはいかに、八幡大菩薩、たすけさせ給へと祈念し給へるに、此もの、なにかはたゝりをなすへきとて、かきけちうせ侍りぬ。さたかに、いかなるものの姿とは、よくも覚すと語給へりけり。朱雀門の鬼なんとにや侍りけん。それこそ其頃さやうのすき物にては侍しか。" 「撰集抄」<巻八第二七 四条大納言・歌>
北斗星前横旅鳫 北斗の星の前に旅雁横たはり
南楼月下擣寒衣 南楼の月の下には寒衣を擣(う)つ
劉元叔「妾薄命」より『和漢朗詠集』346
2011年7月29日金曜日
義士評定之圖 歌川国芳
Gishi hyojo no zu / Kuniyoshi
義士評定之圖 歌川国芳 年代不詳
"一ノ注進 早野勘平 ニノ注進 千崎弥五郎 三ノ注進 速水藤左衛門?"
実際の赤穂藩への急使の状況はwikiによると以下の通り。
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)巳の刻(午前10時頃) 松之大廊下の刃傷
同日未の刻(午後2時頃) 浅野大学は書状を国家老・大石内蔵助にしたためて、早水藤左衛門と萱野三平を第1の急使として赤穂へ派遣
同日申の下刻(午後5時頃) 一関藩田村家より浅野内匠頭の遺体を引き渡したいから家臣を送るようにという使者が浅野大学に
同日六つ半(午後7時前後) 浅野内匠頭切腹
3月19日(4月26日)卯の刻(日の出前) 第一の急使(早水藤左衛門満尭と萱野三平重実)
同日酉の刻(午後7時頃) 第二の急使(足軽飛脚 刃傷事件発生の事実と藩札処理の指示)
同日戌の刻(午後11時頃) 第三の急使(原惣右衛門元辰と大石瀬左衛門信清 藩主浅野内匠頭切腹の情報)
3月22日(4月29日) 第四報(町飛脚 浅野大学長広お預かりの情報)
3月25日(5月2日) 第五報(町飛脚 江戸浅野家上下屋敷召し上げの情報)
3月27日(5月4日) 赤穂藩の評定(3日間)
3月28日(5月5日) 第六報(赤穂城収城目付及び赤穂代官決定の情報)
4月15日(5月22日) 収城目付荒木政羽と榊原政殊が到着
4月19日(5月26日) 赤穂城開城
※参照サイト「忠臣蔵新聞-赤穂城の明け渡し」
義士評定之圖 歌川国芳 年代不詳
"一ノ注進 早野勘平 ニノ注進 千崎弥五郎 三ノ注進 速水藤左衛門?"
実際の赤穂藩への急使の状況はwikiによると以下の通り。
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)巳の刻(午前10時頃) 松之大廊下の刃傷
同日未の刻(午後2時頃) 浅野大学は書状を国家老・大石内蔵助にしたためて、早水藤左衛門と萱野三平を第1の急使として赤穂へ派遣
同日申の下刻(午後5時頃) 一関藩田村家より浅野内匠頭の遺体を引き渡したいから家臣を送るようにという使者が浅野大学に
同日六つ半(午後7時前後) 浅野内匠頭切腹
3月19日(4月26日)卯の刻(日の出前) 第一の急使(早水藤左衛門満尭と萱野三平重実)
同日酉の刻(午後7時頃) 第二の急使(足軽飛脚 刃傷事件発生の事実と藩札処理の指示)
同日戌の刻(午後11時頃) 第三の急使(原惣右衛門元辰と大石瀬左衛門信清 藩主浅野内匠頭切腹の情報)
3月22日(4月29日) 第四報(町飛脚 浅野大学長広お預かりの情報)
3月25日(5月2日) 第五報(町飛脚 江戸浅野家上下屋敷召し上げの情報)
3月27日(5月4日) 赤穂藩の評定(3日間)
3月28日(5月5日) 第六報(赤穂城収城目付及び赤穂代官決定の情報)
4月15日(5月22日) 収城目付荒木政羽と榊原政殊が到着
4月19日(5月26日) 赤穂城開城
※参照サイト「忠臣蔵新聞-赤穂城の明け渡し」
2011年7月28日木曜日
人間萬事愛婦美八卦意 癇積の晴嵐 損 歌川国芳
The Trigram Xun, Wind: Loss, Clearing Weather after a Temper Tantrum (Son, kanshaku no seiran), from the series Eight Views of Incidents in Daily Life: Women Representing the Eight Trigrams (Ningen banji ômi hakkei) / Kuniyoshi
人間萬事愛婦美八卦意 癇積の晴嵐 損 歌川国芳 1849~1850年頃
"此卦にあたる人ハどうもかんしやくがあつてじり/\して やゝともするとなにかをこハす事があり それハまことにわるいしやれにて とがもなきどびんやゆのミがいつでもやられるなり これほんのむだ事にて あとにてすぐにかハねバようがたりず さつそくそんがゆくなり じつにたんきハそんきできんせんをつひやし たぬきせんきできんたまをふくらし せつかくたまつたどうぐをかんしやくでこハし/\するとほねをりぞんのくたびれまうけなり それゆゑにせき損さまの御しんごんにも こハすハそんだばさらんだ?とまうす ありがたし/\"
人間萬事愛婦美八卦意 癇積の晴嵐 損 歌川国芳 1849~1850年頃
"此卦にあたる人ハどうもかんしやくがあつてじり/\して やゝともするとなにかをこハす事があり それハまことにわるいしやれにて とがもなきどびんやゆのミがいつでもやられるなり これほんのむだ事にて あとにてすぐにかハねバようがたりず さつそくそんがゆくなり じつにたんきハそんきできんせんをつひやし たぬきせんきできんたまをふくらし せつかくたまつたどうぐをかんしやくでこハし/\するとほねをりぞんのくたびれまうけなり それゆゑにせき損さまの御しんごんにも こハすハそんだばさらんだ?とまうす ありがたし/\"
偽一休和尚説法之図 歌川国芳
The False Ikkyû Preaching to the Bill Collectors / Kuniyoshi
偽一休和尚説法之図 歌川国芳 1843~1847年頃
"一休和尚ハ後小松天皇の御落胤なり其名を宗純と申し都紫野大徳寺なる宗曇花叟の嗣法にて出藍の方(さえ)弥(いよ/\)高く禅機悟法に長給ふ故 世の人是を生佛と称す 或年河内国生駒嶽(いこまやま)の麓に閑居したまひしに、時節(おりしも)極月(ごくげつ)晦日(つごもり)の夜 草庵へ討債(かけこい)共の大勢にて来りしかバ御弟子箔蔵主(はくぞうず)ハ侠客野晒悟助(おとこだてのざらしごすけ)といひあハせ、自(みずから)一休なりといつはり地獄極楽の有様を軍陣のことによけ?いと面白く法談なし或ハ諸経の趣意をやハらげ無常迅速の理を世にあハれげに説けれバ悟助ハ程よき頃を見て勧進木さく(柄杓)を持まハるに聴衆の面々感にたへ債(はたる)ことハうち忘れ貸高を記した帳面に墨をひきて消あれバ他所にて債りし金銭を布施物にいるゝ者も有て暫時欲念を散じけるとぞ 故人京伝翁の著作せられし本朝酔菩提の文を省略して 柳下亭種員筆記"
"はたるべき かけハはたらで つみとがの帳けしをさへねがふをかしさ たねかず"
参照:錦絵の風刺画データベース(ウィーン大学)
偽一休和尚説法之図 歌川国芳 1843~1847年頃
"はたるべき かけハはたらで つみとがの帳けしをさへねがふをかしさ たねかず"
参照:錦絵の風刺画データベース(ウィーン大学)
古根本朝名女百傳 綺田村孝女 歌川国芳
The Filial Daughter of Kawada Village (Kawadamura kôjo), from the series One Hundred Stories of Famous Women of Japan, Ancient and Modern (Kokon honchô meijo hyakuden) / Kuniyoshi
古根本朝名女百傳 綺田村孝女 歌川国芳 1843年
"山城國綺田村(かハだむら)に善心深き農民あり一人の女子を持しが顔貌美く父母に至孝にて幼少より佛を帰依し父或時童の為に殺れんとせし蟹を救け或日また蛇(くちなハ)の蟇を呑んとするを見て汝蟇を放ちやらバ我娘を與(あたへ)んと戯れに云たりしに言葉の如く放やり次の夜より人と化し約束の息女をたまハれと來ること三夜なり終に女を与へざれバ正身の蛇となつて寝間近く來りしかバ小女ハ一心に普門品を讀誦し信心す折から數多の蟹あらハれ件の蛇を亡して危き難をすくひける今彼所にある普門山蟹満寺ハ其蛇を埋たる地へ建しものなり くちなハの呑んとよれる池水にわかかへる手のかげやとめけん 柳下亭種員記"
古根本朝名女百傳 綺田村孝女 歌川国芳 1843年
"山城國綺田村(かハだむら)に善心深き農民あり一人の女子を持しが顔貌美く父母に至孝にて幼少より佛を帰依し父或時童の為に殺れんとせし蟹を救け或日また蛇(くちなハ)の蟇を呑んとするを見て汝蟇を放ちやらバ我娘を與(あたへ)んと戯れに云たりしに言葉の如く放やり次の夜より人と化し約束の息女をたまハれと來ること三夜なり終に女を与へざれバ正身の蛇となつて寝間近く來りしかバ小女ハ一心に普門品を讀誦し信心す折から數多の蟹あらハれ件の蛇を亡して危き難をすくひける今彼所にある普門山蟹満寺ハ其蛇を埋たる地へ建しものなり くちなハの呑んとよれる池水にわかかへる手のかげやとめけん 柳下亭種員記"
2011年7月27日水曜日
賢女烈婦傳 玉依姫 歌川国芳
Tamayori-hime [=Tamaori-hime], from the series Stories of Wise Women and Faithful Wives (Kenjo reppu den) / Kuniyoshi
賢女烈婦傳 玉依姫 歌川国芳 1842~1843年頃
"按察使大納言輔方卿の女無冠太夫敦盛が室也 夫須磨にて打死の後剃髪禅衣の姿となり其名を蓮華尼公といひ花洛五條新善光寺御影堂に閑居し阿小女扇を制し玉ふ今扇屋に御影堂の名あるハ此女性をもつて鼻祖とするなり"
賢女烈婦傳 玉依姫 歌川国芳 1842~1843年頃
"按察使大納言輔方卿の女無冠太夫敦盛が室也 夫須磨にて打死の後剃髪禅衣の姿となり其名を蓮華尼公といひ花洛五條新善光寺御影堂に閑居し阿小女扇を制し玉ふ今扇屋に御影堂の名あるハ此女性をもつて鼻祖とするなり"
2011年7月23日土曜日
xxxxxxx403氏のGoogle 画像検索ポストまとめ
こちらのタンブラーの方が時折Google画像検索の結果をポストするのだが、毎度楽しいのでまとめ。
Google画像検索 「バス停 田舎」 →
Google画像検索 「廃線跡」 →
Google画像検索 「宿根木」 →
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Google画像検索 「滑り台」 →
※自分で実行して「おっ!」となったのをオマケに。
Google画像検索 「犬張子 ざる被り」 →
Google画像検索 「Phyllis and Aristotle」 →
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本朝劔道略傳 松井冨次郎茂仲 歌川国芳
Matsui Tomijirô Shigenaka, from the series Biographies of Our Country's Swordsmen (Honchô kendô ryakuden) / Kuniyoshi
本朝劔道略傳 松井冨次郎茂仲 歌川国芳 1845~1846年頃
"幼稚時異人に倡(いざな)ハれ劔法を学びその後父の家に皈(かへ)り日夜学問執行なし暮せしに故あつて兄を何某に討れ其仇を尋んと所々方々廻りありき或時人も通ハぬ山中に分入このやま越にたどり行かバいづれへかむかふべし行て見むやと只一人道もなき山越にて日もはややう/\西にかたむきしころ一ツのながれに出たりしが何心なく此川をわたりしニ此方の岸なる草深き所より数千の蛇一群となりむかふの岸へわたりいづくともなくされけれバふしぎと見るうち年の頃三十ばかりなる女忽然と来りて云たるハ今蛇の川を渡りたるハきのふ降たる雨に川水ましたれバ蛇疑ひて集り居たるが今御身の渡たまひし?をみて夫をたよりに渡りしなりと語るこれ仙女にして冨次郎にさまざまの薬を与へ身の行末を教へ立去たる此後彼薬を服して大蛇をうち其毒氣を遁れしとぞ誠に名誉の達人と云つべし"
本朝劔道略傳 松井冨次郎茂仲 歌川国芳 1845~1846年頃
"幼稚時異人に倡(いざな)ハれ劔法を学びその後父の家に皈(かへ)り日夜学問執行なし暮せしに故あつて兄を何某に討れ其仇を尋んと所々方々廻りありき或時人も通ハぬ山中に分入このやま越にたどり行かバいづれへかむかふべし行て見むやと只一人道もなき山越にて日もはややう/\西にかたむきしころ一ツのながれに出たりしが何心なく此川をわたりしニ此方の岸なる草深き所より数千の蛇一群となりむかふの岸へわたりいづくともなくされけれバふしぎと見るうち年の頃三十ばかりなる女忽然と来りて云たるハ今蛇の川を渡りたるハきのふ降たる雨に川水ましたれバ蛇疑ひて集り居たるが今御身の渡たまひし?をみて夫をたよりに渡りしなりと語るこれ仙女にして冨次郎にさまざまの薬を与へ身の行末を教へ立去たる此後彼薬を服して大蛇をうち其毒氣を遁れしとぞ誠に名誉の達人と云つべし"
豪傑松井民次郎茂仲
本文 - 豪傑松井民次郎茂仲|近代デジタルライブラリー 松月堂魯山口演 吉田松茵速記 明43.10(1910年)
第十七席(百十六頁より)
・・・明くれば慶安元年九月の三十日、民次郎十六歳の時でございます、住み馴れました山形城下を出立に及びましてございます、さて民次郎は山形を出立致しましたが、急がぬ旅でございますから、同國上の山の城下まで参りました時、民次郎不図思ふには「まて/\、之れから本道を行くのは面白うない、山越に家のあるないに関はらず、分け入つたならば、大概阿武隈川に出るであらう、間道を行つてやらう」と大胆不敵にも思ひ立ちました、夫れと云ふので人も通ひませぬ山越に掛りましたが、元来山走りの名人でございますから、行きます程に、日もやう/\西の端に傾く頃、二つの流れある處へ出ました、瀬は少し早い様でございますが、川幅十四五間もあるやうに見えましたから、何心なく裾をからげて流れに入り、向ふの岸へ越さうとしまする時、此方の山の草深き處から蛇が千疋餘り一群になつて水中に入り、さつさと向ふの岸へ泳ぎ越して、何處へか行つて了ひましたから、之れを眺めた民次郎は、いやらしい蛇の事でございますから、ギヨツと致しました「はてな何様變つた事である、之れは何にか仔細のある事であらう」と流れを渡つて、向ふの岸にて石に腰打ち掛け、蛇の事を考えて居ります。
第十八席
處へさして左りの峰の方から、年の頃三十前後と思はれました一人の女、顔形凡俗を離れたのが、麻に似て麻でない木綿に似て木綿でない一重の着物を纏ひまして、飄然と致して民次郎の傍へ出て来ました、民次郎は急度女の顔を眺めて居りますると彼の女はにこ/\笑ひながら 女「まうし貴方はまだ若年の御身で、斯る山中へお出でになりましたは、不思儀な事、此處は道を迷ふとも来り難い處でございますが、さて只今多くの蛇が川を渡つたのは、之れは不思儀な事ではありませぬ、昨日降った雨に、流れの水が増して居りまするから、蛇が數多一處に寄り集つて居ります處へ、貴方がお出でになつたから、蛇は驚ろいて、一時に向ふの岸へ渡つたのでございます、何も不思儀な事はありませぬ」と云ふのを民次郎は、つくづくと其の様子を見ますれば、言葉と云ひ、顔容と云ひ、中々世の常の人ではございませぬ、又妖怪の類とも見えませぬから、何様之れぞ世に云ふ仙人と云ふものであらう・・・
第十七席(百十六頁より)
・・・明くれば慶安元年九月の三十日、民次郎十六歳の時でございます、住み馴れました山形城下を出立に及びましてございます、さて民次郎は山形を出立致しましたが、急がぬ旅でございますから、同國上の山の城下まで参りました時、民次郎不図思ふには「まて/\、之れから本道を行くのは面白うない、山越に家のあるないに関はらず、分け入つたならば、大概阿武隈川に出るであらう、間道を行つてやらう」と大胆不敵にも思ひ立ちました、夫れと云ふので人も通ひませぬ山越に掛りましたが、元来山走りの名人でございますから、行きます程に、日もやう/\西の端に傾く頃、二つの流れある處へ出ました、瀬は少し早い様でございますが、川幅十四五間もあるやうに見えましたから、何心なく裾をからげて流れに入り、向ふの岸へ越さうとしまする時、此方の山の草深き處から蛇が千疋餘り一群になつて水中に入り、さつさと向ふの岸へ泳ぎ越して、何處へか行つて了ひましたから、之れを眺めた民次郎は、いやらしい蛇の事でございますから、ギヨツと致しました「はてな何様變つた事である、之れは何にか仔細のある事であらう」と流れを渡つて、向ふの岸にて石に腰打ち掛け、蛇の事を考えて居ります。
第十八席
處へさして左りの峰の方から、年の頃三十前後と思はれました一人の女、顔形凡俗を離れたのが、麻に似て麻でない木綿に似て木綿でない一重の着物を纏ひまして、飄然と致して民次郎の傍へ出て来ました、民次郎は急度女の顔を眺めて居りますると彼の女はにこ/\笑ひながら 女「まうし貴方はまだ若年の御身で、斯る山中へお出でになりましたは、不思儀な事、此處は道を迷ふとも来り難い處でございますが、さて只今多くの蛇が川を渡つたのは、之れは不思儀な事ではありませぬ、昨日降った雨に、流れの水が増して居りまするから、蛇が數多一處に寄り集つて居ります處へ、貴方がお出でになつたから、蛇は驚ろいて、一時に向ふの岸へ渡つたのでございます、何も不思儀な事はありませぬ」と云ふのを民次郎は、つくづくと其の様子を見ますれば、言葉と云ひ、顔容と云ひ、中々世の常の人ではございませぬ、又妖怪の類とも見えませぬから、何様之れぞ世に云ふ仙人と云ふものであらう・・・
※国芳の絵の状況が知りたくてざっと読んだのだが、巻頭のエピソードが面白い。幼少時の民次郎は鼻垂れ小僧で暗愚であろうと家族に思われていた。十一歳になった年、一家の花見の宴に老耄(おいぼれ)乞食が現れ民次郎をさらっていく。その時の乞食の言葉・・・
「アゝ松井内蔵とやら、此の子に教へる事があるから五年の間借りて行くぞや、決して悪うはせんから、心配せずに待て居れ」
木曾街道六十九次之内 松井田 山姥 松井民次郎 歌川国芳 1852年
2011年7月21日木曜日
實語教狂画童学 雖出貧賤門 為有智人者 歌川国芳
Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 雖出貧賤門 為有智人者 歌川国芳 1848~1853年頃
雖出貧賤門 為有智人者 貧賤の門(かど)を出づると雖も 智有る人の為にハ
宛如泥中蓮 あたかも泥中の蓮(はちす)の如し
父母如天地 師君如日月 父母ハ天地の如く 師君ハ日月の如し
實語教狂画童学 雖出貧賤門 為有智人者 歌川国芳 1848~1853年頃
雖出貧賤門 為有智人者 貧賤の門(かど)を出づると雖も 智有る人の為にハ
宛如泥中蓮 あたかも泥中の蓮(はちす)の如し
父母如天地 師君如日月 父母ハ天地の如く 師君ハ日月の如し
實語教狂画童学 君子愛智者 小人愛福人 歌川国芳
Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 君子愛智者 小人愛福人 歌川国芳 1848~1853年頃
君子愛智者 小人愛福人 君子ハ智者を愛し 小人ハ福人を愛す
雖入富貴家 為無財人者 富貴の家に入ると雖も 財無き人の為にハ
猶如霜下花 なほ霜の下の花の如し
實語教狂画童学 君子愛智者 小人愛福人 歌川国芳 1848~1853年頃
君子愛智者 小人愛福人 君子ハ智者を愛し 小人ハ福人を愛す
雖入富貴家 為無財人者 富貴の家に入ると雖も 財無き人の為にハ
猶如霜下花 なほ霜の下の花の如し
實語教狂画童学 幼時不勤学 老後雖恨悔 歌川国芳
Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 幼時不勤学 老後雖恨悔 歌川国芳 1848~1853年頃
幼時不勤学 老後雖恨悔 幼時(いとけなきとき)勤め学バずんバ 老いて後に恨み悔ゆるといへども
尚無有所益 故讀書勿倦 なほ所益有ること無し 故(かるがゆへ)に書を読んで倦むことなかれ
学文勿怠時 除眠通夜誦 学文怠る時なかれ 眠りを除いて通夜(よもすがら)誦せ
忍飢終日習 雖會師不学 飢へを忍んで終日(ひねもす)習ひ 師に會ふと雖も学バざれバ
徒如向市人 徒(いたづら)に市人(いちびと)に向かふが如し
雖習讀不復 只如計隣財 習ひ読むと雖も復せざれバ 只隣の財(たから)を数ふるが如し
實語教狂画童学 幼時不勤学 老後雖恨悔 歌川国芳 1848~1853年頃
幼時不勤学 老後雖恨悔 幼時(いとけなきとき)勤め学バずんバ 老いて後に恨み悔ゆるといへども
尚無有所益 故讀書勿倦 なほ所益有ること無し 故(かるがゆへ)に書を読んで倦むことなかれ
学文勿怠時 除眠通夜誦 学文怠る時なかれ 眠りを除いて通夜(よもすがら)誦せ
忍飢終日習 雖會師不学 飢へを忍んで終日(ひねもす)習ひ 師に會ふと雖も学バざれバ
徒如向市人 徒(いたづら)に市人(いちびと)に向かふが如し
雖習讀不復 只如計隣財 習ひ読むと雖も復せざれバ 只隣の財(たから)を数ふるが如し
實語教狂画童学 雖積千両金 不如一日学 歌川国芳
Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 雖積千両金 不如一日学 歌川国芳 1848~1853年頃
雖積千両金 不如一日学 千両の金(こがね)を積むと雖も 一日の学にハ如かず
兄弟常不合 慈悲為兄弟 兄弟は常に会わず 慈悲を兄弟とす
財物永不存 才智為財物 財物は永く存せず 才智を財物とす
四大日々衰 心神夜々暗 四大日々衰へ 心神(しんじん)夜々(やや)暗し
實語教狂画童学 雖積千両金 不如一日学 歌川国芳 1848~1853年頃
雖積千両金 不如一日学 千両の金(こがね)を積むと雖も 一日の学にハ如かず
兄弟常不合 慈悲為兄弟 兄弟は常に会わず 慈悲を兄弟とす
財物永不存 才智為財物 財物は永く存せず 才智を財物とす
四大日々衰 心神夜々暗 四大日々衰へ 心神(しんじん)夜々(やや)暗し
實語教狂画童学 山高故不貴 以有樹為貴 歌川国芳
Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 山高故不貴 以有樹為貴 歌川国芳 1848~1853年頃
山高故不貴 以有樹為貴 山高きが故に貴からず 木有るを以て貴しとす
人肥故不貴 以有智為貴 人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しとす
富是一生財 身滅即共滅 富は是一生の財(ざい) 身滅すれば即ち共に滅す
智是万代財 命終即随行 智は是万代の財(たから) 命終われば即ち随って行く
玉不磨無光 無光為石瓦 玉磨かざれば光無し 光無きを石瓦とす
人不学無智 無智為愚人 人学ばざれば智なし 智無きを愚人(ぐにん)とす
倉内財有朽 身内才無朽 倉の内の財は朽つること有り 身の内の才は朽つること無し
實語教狂画童学 山高故不貴 以有樹為貴 歌川国芳 1848~1853年頃
山高故不貴 以有樹為貴 山高きが故に貴からず 木有るを以て貴しとす
人肥故不貴 以有智為貴 人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しとす
富是一生財 身滅即共滅 富は是一生の財(ざい) 身滅すれば即ち共に滅す
智是万代財 命終即随行 智は是万代の財(たから) 命終われば即ち随って行く
玉不磨無光 無光為石瓦 玉磨かざれば光無し 光無きを石瓦とす
人不学無智 無智為愚人 人学ばざれば智なし 智無きを愚人(ぐにん)とす
倉内財有朽 身内才無朽 倉の内の財は朽つること有り 身の内の才は朽つること無し
※参照サイト:実語教(ルビ) 実語教 | 長岡けいすけオフィシャルウェブサイト
通俗水滸伝豪傑百八人之一個 赤髪鬼劉唐 歌川国芳
Liu Tang, the Red-haired Devil (Sekihakki Ryûtô), from the series One Hundred and Eight Heroes of the Popular Shuihuzhuan (Tsûzoku Suikoden gôketsu hyakuhachinin no hitori) / Kuniyoshi
通俗水滸伝豪傑百八人之一個 赤髪鬼劉唐 歌川国芳 1827~1830年頃
"東路州に住す團練使なり色黒く面ひろくぼんの邊に一ツの硃砂記(あかほくろ)ありよつて綽を赤髪鬼といふ後しよがうけつと義をむすぶ梁山泊のふもとに盧俊義と大ニ戰ふ"
"慷慨北京盧俊義 遠駄貨物離郷地 一心只要捉強人 那時方表男兒志"
通俗水滸伝豪傑百八人之一個 赤髪鬼劉唐 歌川国芳 1827~1830年頃
"東路州に住す團練使なり色黒く面ひろくぼんの邊に一ツの硃砂記(あかほくろ)ありよつて綽を赤髪鬼といふ後しよがうけつと義をむすぶ梁山泊のふもとに盧俊義と大ニ戰ふ"
"慷慨北京盧俊義 遠駄貨物離郷地 一心只要捉強人 那時方表男兒志"
2011年7月14日木曜日
醉見八盃 歌川国芳
from the series Eight Views of Drunkards (Yômi happai) / Kuniyoshi
醉見八盃 きげん上戸 歌川国芳 年代不詳
"おや/\どふしたのだノフ。ウゝきいたふうだョゥ。へぼのくせにサ。マア一ッおのませョ。これさ/\あのこや。いまのものをとつてきなノ。それからノ。あの。ウゝあとハいゝよ/\。サア十けんだョ。イヨさいしよハ二本であいこで。イヨうるさい。ヲヤ/\/\/\。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。おそろしいずるけんだョ。イヘ/\/\。イゝまけてやる/\。サア一チとり。イヨニほんでわるいぞ。またわるいぞ。イヨ三ぼんとつた。四ほんで。ヲヤまたそろ/\はじまつた。アハゝゝゝゝゝゝゝ。いやだョ/\。四本とつていますョ。イヨ五本目六本で。イヨあいこで。六本三ぼんうるさいぞ。七本とり八本とつたョ。イヨはらつて。いへ/\/\。まだ/\。アハゝゝゝゝゝゝ。くやしいョ。サア/\もふはしがなくなつたから此きせるで。イヨ/\一ぽんになりますョ。おや。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。またあんないけまじ/\としてサ。サア/\いよ/\十本でございますョ。あれサおみよ。アノずるいことハ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。あのなりハサアハゝゝゝゝゝゝゝゝゝ。へぼハどこだ/\/\。アハゝゝゝゝゝゝ。おや/\だれだかこんなものをこゝへおいたョ。いやだねへ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。おやそこらに。かんざしがおちていやしまいか。みておくれョ。なんだとへ。おやどふしやう。あたまにさしてあつたョ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アゝおもしろかつた。"
醉見八盃 きげん上戸 歌川国芳 年代不詳
"おや/\どふしたのだノフ。ウゝきいたふうだョゥ。へぼのくせにサ。マア一ッおのませョ。これさ/\あのこや。いまのものをとつてきなノ。それからノ。あの。ウゝあとハいゝよ/\。サア十けんだョ。イヨさいしよハ二本であいこで。イヨうるさい。ヲヤ/\/\/\。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。おそろしいずるけんだョ。イヘ/\/\。イゝまけてやる/\。サア一チとり。イヨニほんでわるいぞ。またわるいぞ。イヨ三ぼんとつた。四ほんで。ヲヤまたそろ/\はじまつた。アハゝゝゝゝゝゝゝ。いやだョ/\。四本とつていますョ。イヨ五本目六本で。イヨあいこで。六本三ぼんうるさいぞ。七本とり八本とつたョ。イヨはらつて。いへ/\/\。まだ/\。アハゝゝゝゝゝゝ。くやしいョ。サア/\もふはしがなくなつたから此きせるで。イヨ/\一ぽんになりますョ。おや。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。またあんないけまじ/\としてサ。サア/\いよ/\十本でございますョ。あれサおみよ。アノずるいことハ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。あのなりハサアハゝゝゝゝゝゝゝゝゝ。へぼハどこだ/\/\。アハゝゝゝゝゝゝ。おや/\だれだかこんなものをこゝへおいたョ。いやだねへ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。おやそこらに。かんざしがおちていやしまいか。みておくれョ。なんだとへ。おやどふしやう。あたまにさしてあつたョ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アゝおもしろかつた。"
醉見八盃 へど上戸 歌川国芳 年代不詳
"ゲヘ/\こゝハどゝどこだ。なにどこでもいゝじやァねへかッ。あしもとハよろ/\も。くそがあきれらァ。なんだおれがどふした。おもしろくもねへ。どふだとよかろふ。よくなくつてどふするものか。ゲヘ/\/\げろ/\/\。げろ/\/\/\。プウ/\/\。なんだこいつらァ。きつねかいぬか。てめへたちやァ。よくそうじをしてくれろョ。ありがてへ/\。今またナそれげろ/\/\/\。アゝくるしくつてならねへ。げろ/\/\/\。ヤアまたひとりきたナ。はば/\はばかりでごせへすッ。アハゝゝゝゝゝゝ。だれだおれが口をなめるのハ。よせへきたねへふざけるなョ。これさまたなめるか。これはおりよぐわいでごぜへやすッサ。だれだとおもつたら白か。しろこうやかわることもねへかノ。てめへもさけがすきだナ。このごろにどこぞへいつていつぺへやらかそうヨ。これさなめるなョ。ヱゝとてものことにあしをなめてくれへ。アゝモウうるせへやつだ。これてめへつれといつしよに。うちへいかねへか。こんやおれがうちへ。とまらつし。ゲヘ/\/\/\。これハはばかり。はば/\はばかりでこせへしたョ。プウ/\/\/\。"
太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣
from the series Heroes of the Taiheiki (Taiheiki eiyû den) / Kuniyoshi
太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 歌川国芳 1848年頃
"太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 道秀の一族にして丹州福地山の城主たり淀堤の合戦竟(つひ)に敵方の勝利となり軍散じて後久吉首実検をせんとするに終日の戦ひに討死したる両陣の尸(かばね)塁々として丘のごとくなれバ本陣の辺なる死骸を先取捨べしとて雑兵等立かかり傍へ引退る中に怪(あやしむ)べし蠢(うごめく)者あつて忽むづくと起上り短刀を閃し久吉を目がけ飛かゝる側に在たる加田切捨作且元主君の大事と駈塞(かけふさがり)鎗を絞て突んとなす光隣心苛て持たる短刀投捨つゝ太刀抜かざし大音上登喜十郎左エ門光隣此所に伏て敵将を待り首を渡せと呼張て勢猛く切てかゝるを加田切一世の勇を震ひ人交もせず戦へバ面々に堅唾を呑人屏風を立て見物なすうち光隣が運や極りけん加田切大喝して突出す鎗に肩口深く串(つらぬ)かれ漂ひながらも手練の勇者捨作が鎗を片手なぐりに切伏しが初の痛手に刀法乱れ竟に加田切が為に陣没なしぬ遖(あつはれ)勇々しき豪傑とぞいひつべし 一家略傳史 柳下亭種員記"
太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 歌川国芳 1848年頃
"太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 道秀の一族にして丹州福地山の城主たり淀堤の合戦竟(つひ)に敵方の勝利となり軍散じて後久吉首実検をせんとするに終日の戦ひに討死したる両陣の尸(かばね)塁々として丘のごとくなれバ本陣の辺なる死骸を先取捨べしとて雑兵等立かかり傍へ引退る中に怪(あやしむ)べし蠢(うごめく)者あつて忽むづくと起上り短刀を閃し久吉を目がけ飛かゝる側に在たる加田切捨作且元主君の大事と駈塞(かけふさがり)鎗を絞て突んとなす光隣心苛て持たる短刀投捨つゝ太刀抜かざし大音上登喜十郎左エ門光隣此所に伏て敵将を待り首を渡せと呼張て勢猛く切てかゝるを加田切一世の勇を震ひ人交もせず戦へバ面々に堅唾を呑人屏風を立て見物なすうち光隣が運や極りけん加田切大喝して突出す鎗に肩口深く串(つらぬ)かれ漂ひながらも手練の勇者捨作が鎗を片手なぐりに切伏しが初の痛手に刀法乱れ竟に加田切が為に陣没なしぬ遖(あつはれ)勇々しき豪傑とぞいひつべし 一家略傳史 柳下亭種員記"
2011年7月11日月曜日
足りないだらけ(背戸の段畑替歌)
足りないだらけ(背戸の段畑替歌) ビクター 1928-06
益田太郎冠者[作詞] 朝居丸子[唄・三絃]
とかくナー 世の中は不自由がちだが
皆さんご存知 嫌にこの頃ァ足りないだらけだよ
命と掛け替えのお米が足りない さりとて南京米じゃ栄養が足りない
道理で日本人は根気が足りない これだけ出しても税金が足りない
電車が足りない電話が足りない 水道が足りない水撒きが足りない
芸者が足りない旦那も足りない たまさか会っても情愛が足りない
女中が足りない乳母(おんば)が足りない 職人が足りないお百姓が足りない
小僧さんが足りない掃除屋が足りない 警官が足りない兵隊さんが足りない
軍艦が足りない飛行機がまるきり足りない 学校が足りない生娘が足りない
肝心要の月々人気が足りはせぬ
ハァこれほど言っても言い足りないほど 足りないこの世に毎年増えるは
不入りと歳だけそれをも承知で 何時まで経ってもあくせくしている
私が一番マァ足りませぬ
※下線引いた部分は聞き取りに自信が無い
益田太郎冠者[作詞] 朝居丸子[唄・三絃]
とかくナー 世の中は不自由がちだが
皆さんご存知 嫌にこの頃ァ足りないだらけだよ
命と掛け替えのお米が足りない さりとて南京米じゃ栄養が足りない
道理で日本人は根気が足りない これだけ出しても税金が足りない
電車が足りない電話が足りない 水道が足りない水撒きが足りない
芸者が足りない旦那も足りない たまさか会っても情愛が足りない
女中が足りない乳母(おんば)が足りない 職人が足りないお百姓が足りない
小僧さんが足りない掃除屋が足りない 警官が足りない兵隊さんが足りない
軍艦が足りない飛行機がまるきり足りない 学校が足りない生娘が足りない
肝心要の月々人気が足りはせぬ
ハァこれほど言っても言い足りないほど 足りないこの世に毎年増えるは
不入りと歳だけそれをも承知で 何時まで経ってもあくせくしている
私が一番マァ足りませぬ
※下線引いた部分は聞き取りに自信が無い
2011年7月10日日曜日
能楽関係のレコード:国立国会図書館のデジタル化資料より
独吟
観世流謡曲;高砂(上) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12
観世流謡曲;高砂(下) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12
卒都婆小町(一) 松本長 ビクター 1932-04
卒都婆小町(二) 松本長 ビクター 1932-04
高砂(上)われ見ても 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06
高砂(下)梅花を折って 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06
鉢の木 (ああ降りたる雪) 宝生新 ビクター 1928-04
花筐 (一) <恐ろしや> 松本長 ビクター 1928-10
花筐 (二) <南無や天照皇太神宮> 松本長 ビクター 1928-10
松虫(一) 「それは賢き」 宝生新 ビクター 1929-02
松虫(二) 「面白や千草」 宝生新 ビクター 1929-02
山姥 (一) 世を空蝉の 大槻十三 ビクター 1928-12
山姥 (二) いとま申して 大槻十三 ビクター 1928-12
謡曲:蝉丸(上) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02
謡曲:蝉丸(下) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02
謡曲;俊寛(いや某都にて承り候も) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928
謡曲;俊寛(せめて思ひの餘りにや) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928
弱法師(上) 松本長 ビクター 1931-07
弱法師(下) 松本長 ビクター 1931-07
囃子
船弁慶 (一)一門の月卿雲霞の如く ビクター 1928-09
船弁慶 (ニ)働~その時義経少しも騒がず ビクター 1928-09
地謡:松本長 野口政吉(兼資) 笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗(祥光) 大鼓:川崎利吉(九淵) 太鼓:不明
能楽囃子:早舞(クツロギ) (初段・二段目) ビクター 1932-02
能楽囃子:早舞(クツロギ) (三段目・四段目) ビクター 1932-02
笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗 大鼓:川崎利吉 太鼓:金春惣右衛門
観世流謡曲;高砂(上) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12
観世流謡曲;高砂(下) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12
卒都婆小町(一) 松本長 ビクター 1932-04
卒都婆小町(二) 松本長 ビクター 1932-04
高砂(上)われ見ても 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06
高砂(下)梅花を折って 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06
鉢の木 (ああ降りたる雪) 宝生新 ビクター 1928-04
花筐 (一) <恐ろしや> 松本長 ビクター 1928-10
花筐 (二) <南無や天照皇太神宮> 松本長 ビクター 1928-10
松虫(一) 「それは賢き」 宝生新 ビクター 1929-02
松虫(二) 「面白や千草」 宝生新 ビクター 1929-02
山姥 (一) 世を空蝉の 大槻十三 ビクター 1928-12
山姥 (二) いとま申して 大槻十三 ビクター 1928-12
謡曲:蝉丸(上) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02
謡曲:蝉丸(下) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02
謡曲;俊寛(いや某都にて承り候も) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928
謡曲;俊寛(せめて思ひの餘りにや) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928
弱法師(上) 松本長 ビクター 1931-07
弱法師(下) 松本長 ビクター 1931-07
囃子
船弁慶 (一)一門の月卿雲霞の如く ビクター 1928-09
船弁慶 (ニ)働~その時義経少しも騒がず ビクター 1928-09
地謡:松本長 野口政吉(兼資) 笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗(祥光) 大鼓:川崎利吉(九淵) 太鼓:不明
能楽囃子:早舞(クツロギ) (初段・二段目) ビクター 1932-02
能楽囃子:早舞(クツロギ) (三段目・四段目) ビクター 1932-02
笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗 大鼓:川崎利吉 太鼓:金春惣右衛門
2011年7月2日土曜日
薩摩琵琶歌 桜狩
櫻花詞
逸名
薄命能伸旬日壽
納言姓字冒此花
零丁借宿平忠度
吟詠怨風源義家
滋賀浦荒翻暖雪
奈良都古簇紅霞
南朝天子今何在
欲望芳山路更賖
櫻花の詞
おうかのし
逸名
いつめい
薄命能く伸ぶ 旬日の壽 納言の姓字は 此の花を冒す
はくめいよくのぶ じゅんじつのじゅ なごんのせいじは このはなをおかす
零丁宿を借る 平忠度 吟詠風を怨む 源義家
れいていやどをかる たいらのただのり ぎんえいかぜをうらむ みなもとのよしいえ
滋賀の浦は荒れて 暖雪翻り 奈良の都は古りて 紅霞簇がる
しがのうらはあれて だんせつひるがえり ならのみやこはふりて こうかむらがる
南朝の天子 今何くにか在す 芳山を望まんと欲すれば 路更に賖かなり
なんちょうのてんし いまいずくにかおわす ほうざんをのぞまんとほっすれば みちさらにはるかなり
祖父に負われて背中で聞いていた「はくめいよくのぶ~」という歌がなんなのかハッキリしたのでコチラから写させてもらった。
それが薩摩琵琶歌であるというのは少し大きくなったときに聞いてはいたのだが、数年前に検索したときにはうまく見つけられなかった。
薩摩琵琶歌「桜狩」の一部として歌われるときには詞章が少し変わるようだ。「納言の姓字この花を斯す」、「南朝の天子 今いづこにか まします」とこちらのブログにある。
逸名
薄命能伸旬日壽
納言姓字冒此花
零丁借宿平忠度
吟詠怨風源義家
滋賀浦荒翻暖雪
奈良都古簇紅霞
南朝天子今何在
欲望芳山路更賖
櫻花の詞
おうかのし
逸名
いつめい
薄命能く伸ぶ 旬日の壽 納言の姓字は 此の花を冒す
はくめいよくのぶ じゅんじつのじゅ なごんのせいじは このはなをおかす
零丁宿を借る 平忠度 吟詠風を怨む 源義家
れいていやどをかる たいらのただのり ぎんえいかぜをうらむ みなもとのよしいえ
滋賀の浦は荒れて 暖雪翻り 奈良の都は古りて 紅霞簇がる
しがのうらはあれて だんせつひるがえり ならのみやこはふりて こうかむらがる
南朝の天子 今何くにか在す 芳山を望まんと欲すれば 路更に賖かなり
なんちょうのてんし いまいずくにかおわす ほうざんをのぞまんとほっすれば みちさらにはるかなり
祖父に負われて背中で聞いていた「はくめいよくのぶ~」という歌がなんなのかハッキリしたのでコチラから写させてもらった。
それが薩摩琵琶歌であるというのは少し大きくなったときに聞いてはいたのだが、数年前に検索したときにはうまく見つけられなかった。
薩摩琵琶歌「桜狩」の一部として歌われるときには詞章が少し変わるようだ。「納言の姓字この花を斯す」、「南朝の天子 今いづこにか まします」とこちらのブログにある。
近代デジタルライブラリー■平成23年6月の追加資料
ここに追加資料のCSVファイルがあったので。
「変態」で検索
性慾生活の変態と正態 ,性知識普及会編,東京 高千穂社出版部 昭和11,特200-773,367.6,44000874
変態輸入船をアバく 支那置籍船と事変の真相 ,小野崎省三編著,神戸 海運経済新聞社 昭和12,YD5-H-特251-994,683,44031031
処女解剖 怪奇変態 ,春海亮著,東京 中村書店 昭和5.8,YD5-H-特500-720,913.6,46033685
変態医話 ,高田義一郎著,東京 千代田書院 昭和11.3,YD5-H-特500-858,367.6,46034440
変態懸想文 ,福山福太郎著,東京 文芸資料研究会 昭和3.7,YD5-H-特500-656,913.6,46034442
変態性的婦人犯罪考 ,石角春之助著,東京 温故書屋 昭和2.11,特500-604,367.6,46034445
変態風俗の研究 ,田中祐吉著,東京 大阪屋号書店 昭和2,565-218,382.1,47015055
変態社会の理論的考察 ,赤神良譲著,東京 明大学会 昭和8,625-301,361,47020414
変態膨脹期の経済 ,大阪毎日新聞社,東京日日新聞社エコノミスト部編,東京 一元社 昭和9,660-106,332.1,47020556
変態文献叢書 第3巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020727
変態文献叢書 追加 第2巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020731
変態風俗画鑑 ,,東京 時代世相研究会 昭和6,563-468,384,47028159
「猟奇」で検索
満蒙猟奇秘話 ,金子泰次編,東京 大洋社 昭和13,YD5-H-特221-573,913.6,44017038
浮世秘帖 猟奇珍談 ,羽太鋭治著,大阪 国民書院 昭和9,YD5-H-特220-171,598,44017464
世界猟奇女風景 ,小原比呂志著,東京 明教書院 昭和11,YD5-H-特252-269,913.6,44031306
猟奇の妖婦 お定の半生 ,瀬川俊郎著,東京 臥竜社 昭和11.8,YD5-H-特501-587,913.6,46034614
猟奇風俗の向脛 ,長河竜夫著,東京 赤炉閣書房 昭和5.9,YD5-H-特501-645,049,46034615
支那猟奇秘話 ,渋川玄耳著,東京 大洋社 昭12,744-69,388.2,46056425
猟奇医話 ,田中香涯著,東京 不二屋書房 昭和10,YD5-H-60-1363,490,47027869
猟奇の社会相 ,赤神良譲著,東京 新潮社 昭和6,565-274,361,47028164
謎の支那を暴く 猟奇秘帖 ,進潮社編,東京 進潮社 昭和8,633-172,362,47028493
世界猟奇全集 第7巻,,東京 平凡社 昭和6.4,YD5-H-特500-747,908,47036772
世界猟奇全集 第10巻,,東京 平凡社 昭和7.2,YD5-H-特500-771,908,47036778
「変態」で検索
性慾生活の変態と正態 ,性知識普及会編,東京 高千穂社出版部 昭和11,特200-773,367.6,44000874
変態輸入船をアバく 支那置籍船と事変の真相 ,小野崎省三編著,神戸 海運経済新聞社 昭和12,YD5-H-特251-994,683,44031031
処女解剖 怪奇変態 ,春海亮著,東京 中村書店 昭和5.8,YD5-H-特500-720,913.6,46033685
変態医話 ,高田義一郎著,東京 千代田書院 昭和11.3,YD5-H-特500-858,367.6,46034440
変態懸想文 ,福山福太郎著,東京 文芸資料研究会 昭和3.7,YD5-H-特500-656,913.6,46034442
変態性的婦人犯罪考 ,石角春之助著,東京 温故書屋 昭和2.11,特500-604,367.6,46034445
変態風俗の研究 ,田中祐吉著,東京 大阪屋号書店 昭和2,565-218,382.1,47015055
変態社会の理論的考察 ,赤神良譲著,東京 明大学会 昭和8,625-301,361,47020414
変態膨脹期の経済 ,大阪毎日新聞社,東京日日新聞社エコノミスト部編,東京 一元社 昭和9,660-106,332.1,47020556
変態文献叢書 第3巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020727
変態文献叢書 追加 第2巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020731
変態風俗画鑑 ,,東京 時代世相研究会 昭和6,563-468,384,47028159
「猟奇」で検索
満蒙猟奇秘話 ,金子泰次編,東京 大洋社 昭和13,YD5-H-特221-573,913.6,44017038
浮世秘帖 猟奇珍談 ,羽太鋭治著,大阪 国民書院 昭和9,YD5-H-特220-171,598,44017464
世界猟奇女風景 ,小原比呂志著,東京 明教書院 昭和11,YD5-H-特252-269,913.6,44031306
猟奇の妖婦 お定の半生 ,瀬川俊郎著,東京 臥竜社 昭和11.8,YD5-H-特501-587,913.6,46034614
猟奇風俗の向脛 ,長河竜夫著,東京 赤炉閣書房 昭和5.9,YD5-H-特501-645,049,46034615
支那猟奇秘話 ,渋川玄耳著,東京 大洋社 昭12,744-69,388.2,46056425
猟奇医話 ,田中香涯著,東京 不二屋書房 昭和10,YD5-H-60-1363,490,47027869
猟奇の社会相 ,赤神良譲著,東京 新潮社 昭和6,565-274,361,47028164
謎の支那を暴く 猟奇秘帖 ,進潮社編,東京 進潮社 昭和8,633-172,362,47028493
世界猟奇全集 第7巻,,東京 平凡社 昭和6.4,YD5-H-特500-747,908,47036772
世界猟奇全集 第10巻,,東京 平凡社 昭和7.2,YD5-H-特500-771,908,47036778
2011年7月1日金曜日
2011年6月30日木曜日
都會で流行の家庭美容美顔術 松井千枝子 著 序
本文 - 都会で流行の家庭美容美顔術|近代デジタルライブラリー
序に代へて
新らしい時代には、新らしい美容法がなければなりません。いつまでも、いつまでも舊い習慣にとらはれて居りますことは、徒(いたづら)に時代の潮流に逆(そむ)いて棹(さをさ)す舟人の愚さでございませう。
新らしい時代を作つてゆく、一つの大きな力と致しましての、映畫の影響は拒(いな)むことが、出来なくなつて参りました今日、私共のつたない實際の經驗を申し上げますのも、あながちに無駄なことばかりでもないやうに存じます。
たとへば、春の朗(ほがらか)な陽射のもと、伸びやう/\とする若草の緑萌ゆる野邊!その逍遥(そぞろあるき)に私共の生の力は、ともどもにはちきれやうと溢れ出て参ります。
美も、かくほがらかに、かく自然に、溢れて来なければなりません。
お化粧(つくり)によつて、唯美しく見せますことは、ぢきに飽かれてしまひ易いものでございますから……………。私共の仕事として、お化粧をする裏には、かうした方面への種々な、苦心や、研究がなければならないことでございます。
さうしたことで、諸嬢(みなさま)に直接、お役に立てばと思つた事柄を順序もなく、プランもなく、唯、漫然と書きしたゝめて参りましたのが本書でございます。
出来てしまつてから、種々と意に満たぬ點も出来て参りましたが、それは他日を待つて訂正すると致しまして、とりあへず、拙き私の贈物を、諸嬢の前へ捧げさして戴くのでございます。
御大典の秋 松井千枝子
序に代へて
新らしい時代には、新らしい美容法がなければなりません。いつまでも、いつまでも舊い習慣にとらはれて居りますことは、徒(いたづら)に時代の潮流に逆(そむ)いて棹(さをさ)す舟人の愚さでございませう。
新らしい時代を作つてゆく、一つの大きな力と致しましての、映畫の影響は拒(いな)むことが、出来なくなつて参りました今日、私共のつたない實際の經驗を申し上げますのも、あながちに無駄なことばかりでもないやうに存じます。
たとへば、春の朗(ほがらか)な陽射のもと、伸びやう/\とする若草の緑萌ゆる野邊!その逍遥(そぞろあるき)に私共の生の力は、ともどもにはちきれやうと溢れ出て参ります。
美も、かくほがらかに、かく自然に、溢れて来なければなりません。
お化粧(つくり)によつて、唯美しく見せますことは、ぢきに飽かれてしまひ易いものでございますから……………。私共の仕事として、お化粧をする裏には、かうした方面への種々な、苦心や、研究がなければならないことでございます。
さうしたことで、諸嬢(みなさま)に直接、お役に立てばと思つた事柄を順序もなく、プランもなく、唯、漫然と書きしたゝめて参りましたのが本書でございます。
出来てしまつてから、種々と意に満たぬ點も出来て参りましたが、それは他日を待つて訂正すると致しまして、とりあへず、拙き私の贈物を、諸嬢の前へ捧げさして戴くのでございます。
御大典の秋 松井千枝子
※「近代デジタルライブラリー■平成23年6月の追加資料の紹介」より。「プランもなく」という表現が目を引いたのでテキストを起こした。
※文中「はちきれ」の強調は、実際には傍点による。
2011年6月26日日曜日
「福島第一原子力発電所事故について -原子炉の立場から-」田中俊一 より抜粋
※平成23年6月10日 日本物理学会主催シンポジウム
PDF「福島第一原子力発電所事故について -原子炉の立場から-」田中俊一 より。
同氏の講演「福島における除染のあり方について」動画インデックスと重ならない部分を抜粋。
福島第一原発の諸元
炉心内、燃料プールの燃料集合体
時系列から探る初期対応
黒:日経・朝日、青:官邸データ、緑:コメント(田中)
3月11日(金)
14:46 地震発生、運転中の1,2,3号機自動停止
16:36 ECCSによる注水不能、原災法に基づく緊急事態発生を国に通報(東電)
19:03 原子力災害対策本部設置、原子力緊急事態宣言発令(首相)
20:30 2号機の冷却装置停止
22:50 2号機の炉心露出、燃料溶融予測(NISA) ⇒ 水素発生認識?1号機でも?
3月12日(土)
1:20 1号機格納容器圧力の異常上昇通報(東電) ⇒ 水素発生の認識?
1:30 政府が東電に水蒸気放出を指示 ⇒ 水素の認識?
6:38 1号機中央制御室の線量、通常の1000倍(NISA)
D/W圧力(AM2:45-5:20に0.941MPaを記録) 破壊寸前!
格納容器は過大な圧力で機密性を失ったため内部の放射能と水素が
原子炉建屋へ漏洩! しかし格納容器からの放射能漏洩認識?
6:50 炉規法に基づき、経産相から1,2号機の格納容器圧力を下げるよう東電に命令
9:11 NISAが1,2号機の格納容器内の蒸気を外部に放出することを東電に命令
水素爆発の認識なし!
10:17 1号機格納容器のベント実施
15:36 1号機で水素爆発
20:32 1号機に海水注入開始
3月13日(日)
8:41 3号機格納容器ベント開始
RPV圧力約9気圧から72気圧へ急上昇(8:00)、水位急低下(-3000mm)
D/Wの圧力上昇、その後RPV圧力大気圧まで低下。
⇒ 13:12に海水注入するまで炉心冷却なし。
11:20 2号機格納容器ベント開始
13:12 3号機に海水注入開始
3月14日(月)
5:20 3号機ベント開始
11:00 3号機で水素爆発
16:34 2号機に海水注入、水位回復せず、燃料露出
17:12に水位ダウンスケール、PRV圧力74気圧、15日18:43に大気圧。
⇒ 圧力バウンダリーが破壊(破壊の原因)
3月15日(火)
6:00 4号機で爆発(SFプール)、水位低下により水素発生、燃料破損
6:10 2号機で水素爆発、圧力抑制室損傷
⇒ 燃料溶融と大量の水素発生についての認識欠如
3月16日(水)
8:30 3号機から白煙、SFプールの水位低下、燃料破損
⇒ 使用済燃料の発熱についての認識欠如、地震によるSFプールの損傷も
確認せず。「SFプールの水位に注意」の助言が届かず。
冷却材喪失による炉心溶融のプロセス
① 炉心冷却が喪失すると崩壊熱により、RPV内の水が急速に蒸発、燃料が
露出し、燃料被覆管(Zr合金)と水(水蒸気)との反応が始まる。
Zr + 2H2O → ZrO2 + 2H2 Q:
安全審査指針では、被覆管表面温度を1200℃以下(ECCS指針)
② 1200℃を越えると急速に反応が進み、被覆管は脆化し、同時に水素発生
が急速に進み、2250℃で溶融。
4-5時間でZr被覆管がほぼ100%溶融。
その間の水素生成量は、約800kg
③ 更に、温度が上昇し、2800℃になるとUO2燃料(セラミック)が溶融し、燃料
に閉じ込められている核分裂生成物(FP’s)が燃料の外に拡散放出される。
④ 溶融炉心は、炉内の構造物を更に溶融し、RPV下部に蓄積(炉心溶融)
⑤ 溶融炉心はRPVの制御棒駆動案内管等の貫通部分を溶かし、下部ヘッド
に落下(BWR特有)
⑥ さらに、溶融炉心は下部ヘッドの壁を貫通して、格納容器に到達。
(メルトスルー)
⑦ 格納容器の壁を溶融し、貫通。
事故の収束に向けた道筋 4月17日東電
現状① (1~3 号機)燃料ペレットの一部は損傷しているが、注水により冷却で
きている
リスク① 冷温化により格納容器内の水蒸気が凝縮、水素の濃度が高くなり、
水素爆発する恐れ
現状② (1~3 号機)高温により格納容器に生じた隙間から放射性物質を含む
微量の蒸気が漏洩している可能性大
現状③ (2 号機)漏水が多く、格納容器が損傷している可能性大
目標① (1・3 号機)安定的に冷却できている
リスク④ 水を満たす過程でタービン建屋への流入水が増加
リスク⑤ 放射線レベルの高い場所で、作業が長期化する恐れ
目標② (2 号機)格納容器が密閉できるまでは、滞留水の増加を抑制しつつ冷
却する
リスク② 損傷箇所の密閉作業が長期化する恐れ
現状⑨ 2 号機タービン建屋や立坑・トレンチに放射線レベルの高い水が流出かつ滞留
目標⑥ 放射線レベルが高い水を敷地外に流出しないよう、十分な保管場所を確
保する
リスク⑦ 水処理施設の設置遅延や稼動不良の可能性
収束の見通し
4月17日
ステップ1;放射線量が着実に減少傾向となっている(3ヶ月程度)
ステップ2:放射性物質の放出が管理され、放射線量が大幅に抑制
されていること(3~6ヶ月)
5月17日
収束への道筋の見直し、「水棺方式」を延期、建屋等に滞留する汚
染水を処理して原子炉注水に再利用する「循環注水冷却」へ現状
6月8日
1号機、2号機、3号機はメルトスルー状態
(溶融燃料が圧力容器下部から格納容器へ)
現時点での最大の課題は、毎時25トン(600トン/日)
程度排出される大量の高濃度汚染水の処理
今後の課題
「福島原発は、巨大な放射性廃棄物」
今後の課題(サイト内)
• 事故の沈静化・安定化(数ヶ月~3年)
• 作業環境の改善(数ヶ月~5年)
放射能気体、汚染水、瓦礫等の処理
• 原子炉建屋修復・密封性修復(~1年)
• SF燃料、原子炉燃料取出し(5~10年)
• 通常の解体(10年)
• 廃棄物、破損燃料の保管(数10年)
今後の課題(サイト外)
• 放射線・放射能マップ(1~2ヶ月)
• 評価と対応策(1ヶ月~6ヶ月)
• 環境放射能の除染(数ヶ月~数年)
• 住民の移住、土地問題等(10年以上)
• 風評被害対策(10年)
• 放射線モニタリング(10年以上)
大気、土壌、海、米・野菜等、魚類等
• 損害賠償(10年以上)
• 健康調査・管理(最低10年)
科学者への期待とモラル
• 原発の収束、その後対策のための課題は山積しており、
具体的にかつ即効性のある成果が求められている。
• 現実への責任を持てないプレス発表は、結果として住
民を傷つけることになることに留意すべき。
• 研究者の興味だけのフィールド試験は、住民を不安に
陥れ、科学者への不信を募らせる。
• 様々な除染技術や廃棄物処理技術が提案されている
が、除染すべき対象は広大で多様、また廃棄物は多種
多様で物量は膨大であることを認識すべき。
(応用可能性に配慮していただきたい)
以上
PDF「福島第一原子力発電所事故について -原子炉の立場から-」田中俊一 より。
同氏の講演「福島における除染のあり方について」動画インデックスと重ならない部分を抜粋。
福島第一原発の諸元
炉心内、燃料プールの燃料集合体
時系列から探る初期対応
黒:日経・朝日、青:官邸データ、緑:コメント(田中)
3月11日(金)
14:46 地震発生、運転中の1,2,3号機自動停止
16:36 ECCSによる注水不能、原災法に基づく緊急事態発生を国に通報(東電)
19:03 原子力災害対策本部設置、原子力緊急事態宣言発令(首相)
20:30 2号機の冷却装置停止
22:50 2号機の炉心露出、燃料溶融予測(NISA) ⇒ 水素発生認識?1号機でも?
3月12日(土)
1:20 1号機格納容器圧力の異常上昇通報(東電) ⇒ 水素発生の認識?
1:30 政府が東電に水蒸気放出を指示 ⇒ 水素の認識?
6:38 1号機中央制御室の線量、通常の1000倍(NISA)
D/W圧力(AM2:45-5:20に0.941MPaを記録) 破壊寸前!
格納容器は過大な圧力で機密性を失ったため内部の放射能と水素が
原子炉建屋へ漏洩! しかし格納容器からの放射能漏洩認識?
6:50 炉規法に基づき、経産相から1,2号機の格納容器圧力を下げるよう東電に命令
9:11 NISAが1,2号機の格納容器内の蒸気を外部に放出することを東電に命令
水素爆発の認識なし!
10:17 1号機格納容器のベント実施
15:36 1号機で水素爆発
20:32 1号機に海水注入開始
3月13日(日)
8:41 3号機格納容器ベント開始
RPV圧力約9気圧から72気圧へ急上昇(8:00)、水位急低下(-3000mm)
D/Wの圧力上昇、その後RPV圧力大気圧まで低下。
⇒ 13:12に海水注入するまで炉心冷却なし。
11:20 2号機格納容器ベント開始
13:12 3号機に海水注入開始
3月14日(月)
5:20 3号機ベント開始
11:00 3号機で水素爆発
16:34 2号機に海水注入、水位回復せず、燃料露出
17:12に水位ダウンスケール、PRV圧力74気圧、15日18:43に大気圧。
⇒ 圧力バウンダリーが破壊(破壊の原因)
3月15日(火)
6:00 4号機で爆発(SFプール)、水位低下により水素発生、燃料破損
6:10 2号機で水素爆発、圧力抑制室損傷
⇒ 燃料溶融と大量の水素発生についての認識欠如
3月16日(水)
8:30 3号機から白煙、SFプールの水位低下、燃料破損
⇒ 使用済燃料の発熱についての認識欠如、地震によるSFプールの損傷も
確認せず。「SFプールの水位に注意」の助言が届かず。
冷却材喪失による炉心溶融のプロセス
① 炉心冷却が喪失すると崩壊熱により、RPV内の水が急速に蒸発、燃料が
露出し、燃料被覆管(Zr合金)と水(水蒸気)との反応が始まる。
Zr + 2H2O → ZrO2 + 2H2 Q:
安全審査指針では、被覆管表面温度を1200℃以下(ECCS指針)
② 1200℃を越えると急速に反応が進み、被覆管は脆化し、同時に水素発生
が急速に進み、2250℃で溶融。
4-5時間でZr被覆管がほぼ100%溶融。
その間の水素生成量は、約800kg
③ 更に、温度が上昇し、2800℃になるとUO2燃料(セラミック)が溶融し、燃料
に閉じ込められている核分裂生成物(FP’s)が燃料の外に拡散放出される。
④ 溶融炉心は、炉内の構造物を更に溶融し、RPV下部に蓄積(炉心溶融)
⑤ 溶融炉心はRPVの制御棒駆動案内管等の貫通部分を溶かし、下部ヘッド
に落下(BWR特有)
⑥ さらに、溶融炉心は下部ヘッドの壁を貫通して、格納容器に到達。
(メルトスルー)
⑦ 格納容器の壁を溶融し、貫通。
事故の収束に向けた道筋 4月17日東電
現状① (1~3 号機)燃料ペレットの一部は損傷しているが、注水により冷却で
きている
リスク① 冷温化により格納容器内の水蒸気が凝縮、水素の濃度が高くなり、
水素爆発する恐れ
現状② (1~3 号機)高温により格納容器に生じた隙間から放射性物質を含む
微量の蒸気が漏洩している可能性大
現状③ (2 号機)漏水が多く、格納容器が損傷している可能性大
目標① (1・3 号機)安定的に冷却できている
リスク④ 水を満たす過程でタービン建屋への流入水が増加
リスク⑤ 放射線レベルの高い場所で、作業が長期化する恐れ
目標② (2 号機)格納容器が密閉できるまでは、滞留水の増加を抑制しつつ冷
却する
リスク② 損傷箇所の密閉作業が長期化する恐れ
現状⑨ 2 号機タービン建屋や立坑・トレンチに放射線レベルの高い水が流出かつ滞留
目標⑥ 放射線レベルが高い水を敷地外に流出しないよう、十分な保管場所を確
保する
リスク⑦ 水処理施設の設置遅延や稼動不良の可能性
収束の見通し
4月17日
ステップ1;放射線量が着実に減少傾向となっている(3ヶ月程度)
ステップ2:放射性物質の放出が管理され、放射線量が大幅に抑制
されていること(3~6ヶ月)
5月17日
収束への道筋の見直し、「水棺方式」を延期、建屋等に滞留する汚
染水を処理して原子炉注水に再利用する「循環注水冷却」へ現状
6月8日
1号機、2号機、3号機はメルトスルー状態
(溶融燃料が圧力容器下部から格納容器へ)
現時点での最大の課題は、毎時25トン(600トン/日)
程度排出される大量の高濃度汚染水の処理
今後の課題
「福島原発は、巨大な放射性廃棄物」
今後の課題(サイト内)
• 事故の沈静化・安定化(数ヶ月~3年)
• 作業環境の改善(数ヶ月~5年)
放射能気体、汚染水、瓦礫等の処理
• 原子炉建屋修復・密封性修復(~1年)
• SF燃料、原子炉燃料取出し(5~10年)
• 通常の解体(10年)
• 廃棄物、破損燃料の保管(数10年)
今後の課題(サイト外)
• 放射線・放射能マップ(1~2ヶ月)
• 評価と対応策(1ヶ月~6ヶ月)
• 環境放射能の除染(数ヶ月~数年)
• 住民の移住、土地問題等(10年以上)
• 風評被害対策(10年)
• 放射線モニタリング(10年以上)
大気、土壌、海、米・野菜等、魚類等
• 損害賠償(10年以上)
• 健康調査・管理(最低10年)
科学者への期待とモラル
• 原発の収束、その後対策のための課題は山積しており、
具体的にかつ即効性のある成果が求められている。
• 現実への責任を持てないプレス発表は、結果として住
民を傷つけることになることに留意すべき。
• 研究者の興味だけのフィールド試験は、住民を不安に
陥れ、科学者への不信を募らせる。
• 様々な除染技術や廃棄物処理技術が提案されている
が、除染すべき対象は広大で多様、また廃棄物は多種
多様で物量は膨大であることを認識すべき。
(応用可能性に配慮していただきたい)
以上
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