第十七席(百十六頁より)
・・・明くれば慶安元年九月の三十日、民次郎十六歳の時でございます、住み馴れました山形城下を出立に及びましてございます、さて民次郎は山形を出立致しましたが、急がぬ旅でございますから、同國上の山の城下まで参りました時、民次郎不図思ふには「まて/\、之れから本道を行くのは面白うない、山越に家のあるないに関はらず、分け入つたならば、大概阿武隈川に出るであらう、間道を行つてやらう」と大胆不敵にも思ひ立ちました、夫れと云ふので人も通ひませぬ山越に掛りましたが、元来山走りの名人でございますから、行きます程に、日もやう/\西の端に傾く頃、二つの流れある處へ出ました、瀬は少し早い様でございますが、川幅十四五間もあるやうに見えましたから、何心なく裾をからげて流れに入り、向ふの岸へ越さうとしまする時、此方の山の草深き處から蛇が千疋餘り一群になつて水中に入り、さつさと向ふの岸へ泳ぎ越して、何處へか行つて了ひましたから、之れを眺めた民次郎は、いやらしい蛇の事でございますから、ギヨツと致しました「はてな何様變つた事である、之れは何にか仔細のある事であらう」と流れを渡つて、向ふの岸にて石に腰打ち掛け、蛇の事を考えて居ります。
第十八席
處へさして左りの峰の方から、年の頃三十前後と思はれました一人の女、顔形凡俗を離れたのが、麻に似て麻でない木綿に似て木綿でない一重の着物を纏ひまして、飄然と致して民次郎の傍へ出て来ました、民次郎は急度女の顔を眺めて居りますると彼の女はにこ/\笑ひながら 女「まうし貴方はまだ若年の御身で、斯る山中へお出でになりましたは、不思儀な事、此處は道を迷ふとも来り難い處でございますが、さて只今多くの蛇が川を渡つたのは、之れは不思儀な事ではありませぬ、昨日降った雨に、流れの水が増して居りまするから、蛇が數多一處に寄り集つて居ります處へ、貴方がお出でになつたから、蛇は驚ろいて、一時に向ふの岸へ渡つたのでございます、何も不思儀な事はありませぬ」と云ふのを民次郎は、つくづくと其の様子を見ますれば、言葉と云ひ、顔容と云ひ、中々世の常の人ではございませぬ、又妖怪の類とも見えませぬから、何様之れぞ世に云ふ仙人と云ふものであらう・・・
※国芳の絵の状況が知りたくてざっと読んだのだが、巻頭のエピソードが面白い。幼少時の民次郎は鼻垂れ小僧で暗愚であろうと家族に思われていた。十一歳になった年、一家の花見の宴に老耄(おいぼれ)乞食が現れ民次郎をさらっていく。その時の乞食の言葉・・・
「アゝ松井内蔵とやら、此の子に教へる事があるから五年の間借りて行くぞや、決して悪うはせんから、心配せずに待て居れ」
木曾街道六十九次之内 松井田 山姥 松井民次郎 歌川国芳 1852年
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