2011年8月15日月曜日

甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳


Yamamoto Kansuke Nyudo Dokisai Haruyuki / Koetsu yusho den Takeda-ke nijushi-sho (Biographies of Heroic Generals of Kai and Echigo Provinces, Twenty-four Generals of the Takeda Clan) / Kuniyoshi
甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳 1848年

"三州牛窪の産 幼稚(おさなき)より兵書に眼を曝(さらし)て孫呉が奇術を得たり若冠(わかゝり)し時故有て五體不具となりし事或ハ武田家に仕官(つかへ)て所々に勲功ありし等ハ人能知れバ此紙に不言 扨も永禄四年辛酉九月四日に武田上杉の両軍勢川中嶋に合戦の砌 敵将謙信奇計をめぐらし車係の陣を布(しき)味方の勢の難義といひ曾(かつ)ハ大将の籏本さへ危しと見切しかバさらバ命を爰に捨て君恩を報ずべしと手勢を撰(すぐつ)て七十五人 北越無雙の勇将と聞し長尾越前守義景が勇ミ進める兵の中へ會釋もなく突て入 縦横無盡に切て廻り目に余る大軍を七度まで追崩し身も鉄石にあらざれバ數ヶ所の深手に是までなりと一歩も不去(さらず)討死なししハ實(げ)に比類なき働ともまた惜むべき有様ともいふべし 應需 柳下亭種員誌"

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