2011年7月31日日曜日

東海道五十三對 藤枝 歌川国芳

Fujieda / Tokaido gojusan-tsui (Fifty-three pairings along the Tokaido Road) / Kuniyoshi
東海道五十三對 藤枝 歌川国芳 1845年頃

"熊谷次郎直実佛門に入て上洛し黒谷の法然上人の弟子となり蓮生法師と改め故郷へかへる道 藤枝の駅に宿せし家にて鳥目壱〆文(いつくわんもん)を上洛まで借用して其質物(しちもつ)に十念を授け故郷へ帰り其後又上洛の砌壱〆文を返し預け置し十念を今又我に玉ハれといふにいと安き事と十念を返す不思議なるハ初め十念を受し時 池に蓮華十茎咲出たるが今返す時念佛一遍に一茎づゝ消失せり此奇特を感じ責て一ぺんハ我に残し玉ハれと願へバ念佛一遍を与へ上洛しける夫より此家を寺となし蓮生寺と号するなり"

2011年7月30日土曜日

百人一首之内 大納言経信 歌川国芳

Poem by Dainagon Tsunenobu, from the series of One Hundred Poems by One Hundred Poets (Hyakunin-issu no uchi) / Kuniyoshi
百人一首之内 大納言経信 歌川国芳 1840~1842年頃

"夕されば門田のいなばおとづれて あしのまろやに秋風ぞ吹く 金葉集秋の部に入る?この詞書に師賢朝臣乃梅津の山里に人々まかりて田家の秋風といふことをよめる歌とあり夕されバは夕暮のさま也芦のまろやとハ芦にて造れる家にてその門田の稲葉ゆへ秋風にそよぐ風情ものかなしくえもいわれぬ趣きを述たるなり"

"六条に住ける頃九月の月の夜にきぬたの音聞こえけれバ から衣擣(う)つこゑきけバ月きよミまだねぬ人を空にしる哉 と詠じけるをりから鬼神詩を吟ずるの図"

"経信の師大納言、八条わたりにすみ給ける頃、九月はかりに、月のあかゝりけるに、なかめしておはしけり。きぬたのをとのほのかにきこえ侍れは、四条大納言の歌、から衣うつ声きけは月きよみまたねぬ人を空にしる哉 と詠し給に、前栽の方に、北斗星前横旅鳫 南楼月下擣寒衣 と云詩を、実におそろしき声して、たからかに詠する物有。誰はかりかく目出き声したらんと覚て、おとろきてみやり給に、長一丈五六尺も侍らんとおほえて、髪のさかさまにおひたるものにて侍り。こはいかに、八幡大菩薩、たすけさせ給へと祈念し給へるに、此もの、なにかはたゝりをなすへきとて、かきけちうせ侍りぬ。さたかに、いかなるものの姿とは、よくも覚すと語給へりけり。朱雀門の鬼なんとにや侍りけん。それこそ其頃さやうのすき物にては侍しか。" 「撰集抄」<巻八第二七 四条大納言・歌>


北斗星前横旅鳫 北斗の星の前に旅雁横たはり
南楼月下擣寒衣 南楼の月の下には寒衣を擣(う)つ

劉元叔「妾薄命」より『和漢朗詠集』346


2011年7月29日金曜日

義士評定之圖 歌川国芳

Gishi hyojo no zu / Kuniyoshi
義士評定之圖 歌川国芳 年代不詳

"一ノ注進 早野勘平 ニノ注進 千崎弥五郎 三ノ注進 速水藤左衛門?"




実際の赤穂藩への急使の状況はwikiによると以下の通り。

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)巳の刻(午前10時頃) 松之大廊下の刃傷

同日未の刻(午後2時頃) 浅野大学は書状を国家老・大石内蔵助にしたためて、早水藤左衛門と萱野三平を第1の急使として赤穂へ派遣

同日申の下刻(午後5時頃) 一関藩田村家より浅野内匠頭の遺体を引き渡したいから家臣を送るようにという使者が浅野大学に

同日六つ半(午後7時前後) 浅野内匠頭切腹

3月19日(4月26日)卯の刻(日の出前) 第一の急使(早水藤左衛門満尭と萱野三平重実)

同日酉の刻(午後7時頃) 第二の急使(足軽飛脚 刃傷事件発生の事実と藩札処理の指示)

同日戌の刻(午後11時頃) 第三の急使(原惣右衛門元辰と大石瀬左衛門信清 藩主浅野内匠頭切腹の情報)

3月22日(4月29日) 第四報(町飛脚 浅野大学長広お預かりの情報)

3月25日(5月2日) 第五報(町飛脚 江戸浅野家上下屋敷召し上げの情報)

3月27日(5月4日) 赤穂藩の評定(3日間)

3月28日(5月5日) 第六報(赤穂城収城目付及び赤穂代官決定の情報)

4月15日(5月22日) 収城目付荒木政羽と榊原政殊が到着

4月19日(5月26日) 赤穂城開城

※参照サイト「忠臣蔵新聞-赤穂城の明け渡し」

2011年7月28日木曜日

人間萬事愛婦美八卦意 癇積の晴嵐 損 歌川国芳

The Trigram Xun, Wind: Loss, Clearing Weather after a Temper Tantrum (Son, kanshaku no seiran), from the series Eight Views of Incidents in Daily Life: Women Representing the Eight Trigrams (Ningen banji ômi hakkei) / Kuniyoshi
人間萬事愛婦美八卦意 癇積の晴嵐 損 歌川国芳 1849~1850年頃

"此卦にあたる人ハどうもかんしやくがあつてじり/\して やゝともするとなにかをこハす事があり それハまことにわるいしやれにて とがもなきどびんやゆのミがいつでもやられるなり これほんのむだ事にて あとにてすぐにかハねバようがたりず さつそくそんがゆくなり じつにたんきハそんきできんせんをつひやし たぬきせんきできんたまをふくらし せつかくたまつたどうぐをかんしやくでこハし/\するとほねをりぞんのくたびれまうけなり それゆゑにせき損さまの御しんごんにも こハすハそんだばさらんだ?とまうす ありがたし/\"



偽一休和尚説法之図 歌川国芳

The False Ikkyû Preaching to the Bill Collectors / Kuniyoshi
偽一休和尚説法之図 歌川国芳 1843~1847年頃

"一休和尚ハ後小松天皇の御落胤なり其名を宗純と申し都紫野大徳寺なる宗曇花叟の嗣法にて出藍の方(さえ)弥(いよ/\)高く禅機悟法に長給ふ故 世の人是を生佛と称す 或年河内国生駒嶽(いこまやま)の麓に閑居したまひしに、時節(おりしも)極月(ごくげつ)晦日(つごもり)の夜 草庵へ討債(かけこい)共の大勢にて来りしかバ御弟子箔蔵主(はくぞうず)ハ侠客野晒悟助(おとこだてのざらしごすけ)といひあハせ、自(みずから)一休なりといつはり地獄極楽の有様を軍陣のことによけ?いと面白く法談なし或ハ諸経の趣意をやハらげ無常迅速の理を世にあハれげに説けれバ悟助ハ程よき頃を見て勧進木さく(柄杓)を持まハるに聴衆の面々感にたへ債(はたる)ことハうち忘れ貸高を記した帳面に墨をひきて消あれバ他所にて債りし金銭を布施物にいるゝ者も有て暫時欲念を散じけるとぞ 故人京伝翁の著作せられし本朝酔菩提の文を省略して 柳下亭種員筆記"

"はたるべき かけハはたらで つみとがの帳けしをさへねがふをかしさ たねかず"

参照:錦絵の風刺画データベース(ウィーン大学)



古根本朝名女百傳 綺田村孝女 歌川国芳

The Filial Daughter of Kawada Village (Kawadamura kôjo), from the series One Hundred Stories of Famous Women of Japan, Ancient and Modern (Kokon honchô meijo hyakuden) / Kuniyoshi
古根本朝名女百傳 綺田村孝女 歌川国芳 1843年

"山城國綺田村(かハだむら)に善心深き農民あり一人の女子を持しが顔貌美く父母に至孝にて幼少より佛を帰依し父或時童の為に殺れんとせし蟹を救け或日また蛇(くちなハ)の蟇を呑んとするを見て汝蟇を放ちやらバ我娘を與(あたへ)んと戯れに云たりしに言葉の如く放やり次の夜より人と化し約束の息女をたまハれと來ること三夜なり終に女を与へざれバ正身の蛇となつて寝間近く來りしかバ小女ハ一心に普門品を讀誦し信心す折から數多の蟹あらハれ件の蛇を亡して危き難をすくひける今彼所にある普門山蟹満寺ハ其蛇を埋たる地へ建しものなり くちなハの呑んとよれる池水にわかかへる手のかげやとめけん 柳下亭種員記"



2011年7月27日水曜日

賢女烈婦傳 玉依姫 歌川国芳

Tamayori-hime [=Tamaori-hime], from the series Stories of Wise Women and Faithful Wives (Kenjo reppu den) / Kuniyoshi
賢女烈婦傳 玉依姫 歌川国芳 1842~1843年頃

"按察使大納言輔方卿の女無冠太夫敦盛が室也 夫須磨にて打死の後剃髪禅衣の姿となり其名を蓮華尼公といひ花洛五條新善光寺御影堂に閑居し阿小女扇を制し玉ふ今扇屋に御影堂の名あるハ此女性をもつて鼻祖とするなり"



2011年7月23日土曜日

xxxxxxx403氏のGoogle 画像検索ポストまとめ

こちらのタンブラーの方が時折Google画像検索の結果をポストするのだが、毎度楽しいのでまとめ。

Google画像検索 「バス停 田舎」 →

Google画像検索 「廃線跡」 →

Google画像検索 「宿根木」 →

Google画像検索 「鎮守の森」 →

Google画像検索 「滑り台」 →


※自分で実行して「おっ!」となったのをオマケに。

Google画像検索 「犬張子 ざる被り」 →

Google画像検索 「Phyllis and Aristotle」 →

本朝劔道略傳 松井冨次郎茂仲 歌川国芳

Matsui Tomijirô Shigenaka, from the series Biographies of Our Country's Swordsmen (Honchô kendô ryakuden) / Kuniyoshi
本朝劔道略傳 松井冨次郎茂仲 歌川国芳 1845~1846年頃

"幼稚時異人に倡(いざな)ハれ劔法を学びその後父の家に皈(かへ)り日夜学問執行なし暮せしに故あつて兄を何某に討れ其仇を尋んと所々方々廻りありき或時人も通ハぬ山中に分入このやま越にたどり行かバいづれへかむかふべし行て見むやと只一人道もなき山越にて日もはややう/\西にかたむきしころ一ツのながれに出たりしが何心なく此川をわたりしニ此方の岸なる草深き所より数千の蛇一群となりむかふの岸へわたりいづくともなくされけれバふしぎと見るうち年の頃三十ばかりなる女忽然と来りて云たるハ今蛇の川を渡りたるハきのふ降たる雨に川水ましたれバ蛇疑ひて集り居たるが今御身の渡たまひし?をみて夫をたよりに渡りしなりと語るこれ仙女にして冨次郎にさまざまの薬を与へ身の行末を教へ立去たる此後彼薬を服して大蛇をうち其毒氣を遁れしとぞ誠に名誉の達人と云つべし"

豪傑松井民次郎茂仲

本文 - 豪傑松井民次郎茂仲|近代デジタルライブラリー 松月堂魯山口演 吉田松茵速記 明43.10(1910年)

第十七席(百十六頁より)

・・・明くれば慶安元年九月の三十日、民次郎十六歳の時でございます、住み馴れました山形城下を出立に及びましてございます、さて民次郎は山形を出立致しましたが、急がぬ旅でございますから、同國上の山の城下まで参りました時、民次郎不図思ふには「まて/\、之れから本道を行くのは面白うない、山越に家のあるないに関はらず、分け入つたならば、大概阿武隈川に出るであらう、間道を行つてやらう」と大胆不敵にも思ひ立ちました、夫れと云ふので人も通ひませぬ山越に掛りましたが、元来山走りの名人でございますから、行きます程に、日もやう/\西の端に傾く頃、二つの流れある處へ出ました、瀬は少し早い様でございますが、川幅十四五間もあるやうに見えましたから、何心なく裾をからげて流れに入り、向ふの岸へ越さうとしまする時、此方の山の草深き處から蛇が千疋餘り一群になつて水中に入り、さつさと向ふの岸へ泳ぎ越して、何處へか行つて了ひましたから、之れを眺めた民次郎は、いやらしい蛇の事でございますから、ギヨツと致しました「はてな何様變つた事である、之れは何にか仔細のある事であらう」と流れを渡つて、向ふの岸にて石に腰打ち掛け、蛇の事を考えて居ります。

第十八席

處へさして左りの峰の方から、年の頃三十前後と思はれました一人の女、顔形凡俗を離れたのが、麻に似て麻でない木綿に似て木綿でない一重の着物を纏ひまして、飄然と致して民次郎の傍へ出て来ました、民次郎は急度女の顔を眺めて居りますると彼の女はにこ/\笑ひながら 女「まうし貴方はまだ若年の御身で、斯る山中へお出でになりましたは、不思儀な事、此處は道を迷ふとも来り難い處でございますが、さて只今多くの蛇が川を渡つたのは、之れは不思儀な事ではありませぬ、昨日降った雨に、流れの水が増して居りまするから、蛇が數多一處に寄り集つて居ります處へ、貴方がお出でになつたから、蛇は驚ろいて、一時に向ふの岸へ渡つたのでございます、何も不思儀な事はありませぬ」と云ふのを民次郎は、つくづくと其の様子を見ますれば、言葉と云ひ、顔容と云ひ、中々世の常の人ではございませぬ、又妖怪の類とも見えませぬから、何様之れぞ世に云ふ仙人と云ふものであらう・・・


※国芳の絵の状況が知りたくてざっと読んだのだが、巻頭のエピソードが面白い。幼少時の民次郎は鼻垂れ小僧で暗愚であろうと家族に思われていた。十一歳になった年、一家の花見の宴に老耄(おいぼれ)乞食が現れ民次郎をさらっていく。その時の乞食の言葉・・・

「アゝ松井内蔵とやら、此の子に教へる事があるから五年の間借りて行くぞや、決して悪うはせんから、心配せずに待て居れ」
木曾街道六十九次之内 松井田 山姥 松井民次郎 歌川国芳 1852年


2011年7月21日木曜日

實語教狂画童学 雖出貧賤門 為有智人者 歌川国芳

Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 雖出貧賤門 為有智人者 歌川国芳 1848~1853年頃

雖出貧賤門 為有智人者 貧賤の門(かど)を出づると雖も 智有る人の為にハ

宛如泥中蓮         あたかも泥中の蓮(はちす)の如し

父母如天地 師君如日月 父母ハ天地の如く 師君ハ日月の如し



實語教狂画童学 君子愛智者 小人愛福人 歌川国芳

Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 君子愛智者 小人愛福人 歌川国芳 1848~1853年頃

君子愛智者 小人愛福人 君子ハ智者を愛し 小人ハ福人を愛す

雖入富貴家 為無財人者 富貴の家に入ると雖も 財無き人の為にハ

猶如霜下花         なほ霜の下の花の如し

實語教狂画童学 幼時不勤学 老後雖恨悔 歌川国芳

Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 幼時不勤学 老後雖恨悔 歌川国芳 1848~1853年頃

幼時不勤学 老後雖恨悔 幼時(いとけなきとき)勤め学バずんバ 老いて後に恨み悔ゆるといへども

尚無有所益 故讀書勿倦 なほ所益有ること無し 故(かるがゆへ)に書を読んで倦むことなかれ

学文勿怠時 除眠通夜誦 学文怠る時なかれ 眠りを除いて通夜(よもすがら)誦せ

忍飢終日習 雖會師不学 飢へを忍んで終日(ひねもす)習ひ 師に會ふと雖も学バざれバ

徒如向市人          徒(いたづら)に市人(いちびと)に向かふが如し

雖習讀不復 只如計隣財 習ひ読むと雖も復せざれバ 只隣の財(たから)を数ふるが如し



實語教狂画童学 雖積千両金 不如一日学 歌川国芳

Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 雖積千両金 不如一日学 歌川国芳 1848~1853年頃

雖積千両金 不如一日学 千両の金(こがね)を積むと雖も 一日の学にハ如かず

兄弟常不合 慈悲為兄弟 兄弟は常に会わず 慈悲を兄弟とす

財物永不存 才智為財物 財物は永く存せず 才智を財物とす

四大日々衰 心神夜々暗 四大日々衰へ 心神(しんじん)夜々(やや)暗し



實語教狂画童学 山高故不貴 以有樹為貴 歌川国芳

Jitsugokyô kyôga dôgaku / Kuniyoshi
實語教狂画童学 山高故不貴 以有樹為貴 歌川国芳 1848~1853年頃

山高故不貴 以有樹為貴 山高きが故に貴からず 木有るを以て貴しとす

人肥故不貴 以有智為貴 人肥えたるが故に貴からず 智有るを以て貴しとす

富是一生財 身滅即共滅 富は是一生の財(ざい) 身滅すれば即ち共に滅す

智是万代財 命終即随行 智は是万代の財(たから) 命終われば即ち随って行く

玉不磨無光 無光為石瓦 玉磨かざれば光無し 光無きを石瓦とす

人不学無智 無智為愚人 人学ばざれば智なし 智無きを愚人(ぐにん)とす

倉内財有朽 身内才無朽 倉の内の財は朽つること有り 身の内の才は朽つること無し


通俗水滸伝豪傑百八人之一個 赤髪鬼劉唐 歌川国芳

Liu Tang, the Red-haired Devil (Sekihakki Ryûtô), from the series One Hundred and Eight Heroes of the Popular Shuihuzhuan (Tsûzoku Suikoden gôketsu hyakuhachinin no hitori) / Kuniyoshi
通俗水滸伝豪傑百八人之一個 赤髪鬼劉唐 歌川国芳 1827~1830年頃

"東路州に住す團練使なり色黒く面ひろくぼんの邊に一ツの硃砂記(あかほくろ)ありよつて綽を赤髪鬼といふ後しよがうけつと義をむすぶ梁山泊のふもとに盧俊義と大ニ戰ふ"

"慷慨北京盧俊義 遠駄貨物離郷地 一心只要捉強人 那時方表男兒志"

2011年7月14日木曜日

醉見八盃 歌川国芳

from the series Eight Views of Drunkards (Yômi happai) / Kuniyoshi
醉見八盃 きげん上戸 歌川国芳 年代不詳

"おや/\どふしたのだノフ。ウゝきいたふうだョゥ。へぼのくせにサ。マア一ッおのませョ。これさ/\あのこや。いまのものをとつてきなノ。それからノ。あの。ウゝあとハいゝよ/\。サア十けんだョ。イヨさいしよハ二本であいこで。イヨうるさい。ヲヤ/\/\/\。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。おそろしいずるけんだョ。イヘ/\/\。イゝまけてやる/\。サア一チとり。イヨニほんでわるいぞ。またわるいぞ。イヨ三ぼんとつた。四ほんで。ヲヤまたそろ/\はじまつた。アハゝゝゝゝゝゝゝ。いやだョ/\。四本とつていますョ。イヨ五本目六本で。イヨあいこで。六本三ぼんうるさいぞ。七本とり八本とつたョ。イヨはらつて。いへ/\/\。まだ/\。アハゝゝゝゝゝゝ。くやしいョ。サア/\もふはしがなくなつたから此きせるで。イヨ/\一ぽんになりますョ。おや。アハゝゝゝゝゝゝゝゝ。またあんないけまじ/\としてサ。サア/\いよ/\十本でございますョ。あれサおみよ。アノずるいことハ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。あのなりハサアハゝゝゝゝゝゝゝゝゝ。へぼハどこだ/\/\。アハゝゝゝゝゝゝ。おや/\だれだかこんなものをこゝへおいたョ。いやだねへ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。おやそこらに。かんざしがおちていやしまいか。みておくれョ。なんだとへ。おやどふしやう。あたまにさしてあつたョ。アハゝゝゝゝゝゝゝ。アゝおもしろかつた。"

醉見八盃 へど上戸 歌川国芳 年代不詳

"ゲヘ/\こゝハどゝどこだ。なにどこでもいゝじやァねへかッ。あしもとハよろ/\も。くそがあきれらァ。なんだおれがどふした。おもしろくもねへ。どふだとよかろふ。よくなくつてどふするものか。ゲヘ/\/\げろ/\/\。げろ/\/\/\。プウ/\/\。なんだこいつらァ。きつねかいぬか。てめへたちやァ。よくそうじをしてくれろョ。ありがてへ/\。今またナそれげろ/\/\/\。アゝくるしくつてならねへ。げろ/\/\/\。ヤアまたひとりきたナ。はば/\はばかりでごせへすッ。アハゝゝゝゝゝゝ。だれだおれが口をなめるのハ。よせへきたねへふざけるなョ。これさまたなめるか。これはおりよぐわいでごぜへやすッサ。だれだとおもつたら白か。しろこうやかわることもねへかノ。てめへもさけがすきだナ。このごろにどこぞへいつていつぺへやらかそうヨ。これさなめるなョ。ヱゝとてものことにあしをなめてくれへ。アゝモウうるせへやつだ。これてめへつれといつしよに。うちへいかねへか。こんやおれがうちへ。とまらつし。ゲヘ/\/\/\。これハはばかり。はば/\はばかりでこせへしたョ。プウ/\/\/\。"


見振十二おもひ月 歌川国芳

見振十二おもひ月 歌川国芳 年代不詳

正月の「ゑび」と十二月の「鮭」が良い。


太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣

from the series Heroes of the Taiheiki (Taiheiki eiyû den) / Kuniyoshi
太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 歌川国芳 1848年頃

"太平記英雄傳 登喜十郎左エ門光隣 道秀の一族にして丹州福地山の城主たり淀堤の合戦竟(つひ)に敵方の勝利となり軍散じて後久吉首実検をせんとするに終日の戦ひに討死したる両陣の尸(かばね)塁々として丘のごとくなれバ本陣の辺なる死骸を先取捨べしとて雑兵等立かかり傍へ引退る中に怪(あやしむ)べし蠢(うごめく)者あつて忽むづくと起上り短刀を閃し久吉を目がけ飛かゝる側に在たる加田切捨作且元主君の大事と駈塞(かけふさがり)鎗を絞て突んとなす光隣心苛て持たる短刀投捨つゝ太刀抜かざし大音上登喜十郎左エ門光隣此所に伏て敵将を待り首を渡せと呼張て勢猛く切てかゝるを加田切一世の勇を震ひ人交もせず戦へバ面々に堅唾を呑人屏風を立て見物なすうち光隣が運や極りけん加田切大喝して突出す鎗に肩口深く串(つらぬ)かれ漂ひながらも手練の勇者捨作が鎗を片手なぐりに切伏しが初の痛手に刀法乱れ竟に加田切が為に陣没なしぬ遖(あつはれ)勇々しき豪傑とぞいひつべし 一家略傳史 柳下亭種員記"

2011年7月11日月曜日

足りないだらけ(背戸の段畑替歌)

足りないだらけ(背戸の段畑替歌) ビクター 1928-06

益田太郎冠者[作詞] 朝居丸子[唄・三絃]


とかくナー 世の中は不自由がちだが

皆さんご存知 嫌にこの頃ァ足りないだらけだよ

命と掛け替えのお米が足りない さりとて南京米じゃ栄養が足りない

道理で日本人は根気が足りない これだけ出しても税金が足りない

電車が足りない電話が足りない 水道が足りない水撒きが足りない

芸者が足りない旦那も足りない たまさか会っても情愛が足りない

女中が足りない乳母(おんば)が足りない 職人が足りないお百姓が足りない

小僧さんが足りない掃除屋が足りない 警官が足りない兵隊さんが足りない

軍艦が足りない飛行機がまるきり足りない 学校が足りない生娘が足りない

肝心要の月々人気が足りはせぬ

ハァこれほど言っても言い足りないほど 足りないこの世に毎年増えるは

不入りと歳だけそれをも承知で 何時まで経ってもあくせくしている

私が一番マァ足りませぬ


※下線引いた部分は聞き取りに自信が無い

2011年7月10日日曜日

能楽関係のレコード:国立国会図書館のデジタル化資料より

独吟

観世流謡曲;高砂(上) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12
観世流謡曲;高砂(下) 梅若万三郎(初世) コロムビア 1933-12

卒都婆小町(一) 松本長 ビクター 1932-04
卒都婆小町(二) 松本長 ビクター 1932-04

高砂(上)われ見ても 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06
高砂(下)梅花を折って 宝生重英(宗家) ビクター 1937-06

鉢の木 (ああ降りたる雪) 宝生新 ビクター 1928-04

花筐 (一) <恐ろしや> 松本長 ビクター 1928-10
花筐 (二) <南無や天照皇太神宮> 松本長 ビクター 1928-10

松虫(一) 「それは賢き」 宝生新 ビクター 1929-02
松虫(二) 「面白や千草」 宝生新 ビクター 1929-02

山姥 (一) 世を空蝉の 大槻十三 ビクター 1928-12
山姥 (二) いとま申して 大槻十三 ビクター 1928-12

謡曲:蝉丸(上) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02
謡曲:蝉丸(下) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1931-02

謡曲;俊寛(いや某都にて承り候も) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928
謡曲;俊寛(せめて思ひの餘りにや) 梅若萬三郎(初世) コロムビア 1928

弱法師(上) 松本長 ビクター 1931-07
弱法師(下) 松本長 ビクター 1931-07

囃子

船弁慶 (一)一門の月卿雲霞の如く ビクター 1928-09
船弁慶 (ニ)働~その時義経少しも騒がず ビクター 1928-09
地謡:松本長 野口政吉(兼資) 笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗(祥光) 大鼓:川崎利吉(九淵) 太鼓:不明

能楽囃子:早舞(クツロギ) (初段・二段目) ビクター 1932-02
能楽囃子:早舞(クツロギ) (三段目・四段目) ビクター 1932-02
笛:一噌又六郎 小鼓:幸悟朗 大鼓:川崎利吉 太鼓:金春惣右衛門

2011年7月2日土曜日

薩摩琵琶歌 桜狩

櫻花詞
逸名

薄命能伸旬日壽
納言姓字冒此花
零丁借宿平忠度
吟詠怨風源義家
滋賀浦荒翻暖雪
奈良都古簇紅霞
南朝天子今何在
欲望芳山路更賖


櫻花の詞
おうかのし
逸名
いつめい

薄命能く伸ぶ 旬日の壽 納言の姓字は 此の花を冒す
はくめいよくのぶ じゅんじつのじゅ なごんのせいじは このはなをおかす

零丁宿を借る 平忠度 吟詠風を怨む 源義家
れいていやどをかる たいらのただのり ぎんえいかぜをうらむ みなもとのよしいえ

滋賀の浦は荒れて 暖雪翻り 奈良の都は古りて 紅霞簇がる
しがのうらはあれて だんせつひるがえり ならのみやこはふりて こうかむらがる

南朝の天子 今何くにか在す 芳山を望まんと欲すれば 路更に賖かなり
なんちょうのてんし いまいずくにかおわす ほうざんをのぞまんとほっすれば みちさらにはるかなり


祖父に負われて背中で聞いていた「はくめいよくのぶ~」という歌がなんなのかハッキリしたのでコチラから写させてもらった。
それが薩摩琵琶歌であるというのは少し大きくなったときに聞いてはいたのだが、数年前に検索したときにはうまく見つけられなかった。
薩摩琵琶歌「桜狩」の一部として歌われるときには詞章が少し変わるようだ。「納言の姓字この花を斯す」、「南朝の天子 今いづこにか まします」とこちらのブログにある。

近代デジタルライブラリー■平成23年6月の追加資料

ここに追加資料のCSVファイルがあったので。

「変態」で検索

性慾生活の変態と正態  ,性知識普及会編,東京 高千穂社出版部 昭和11,特200-773,367.6,44000874
変態輸入船をアバく 支那置籍船と事変の真相 ,小野崎省三編著,神戸 海運経済新聞社 昭和12,YD5-H-特251-994,683,44031031
処女解剖 怪奇変態 ,春海亮著,東京 中村書店 昭和5.8,YD5-H-特500-720,913.6,46033685
変態医話  ,高田義一郎著,東京 千代田書院 昭和11.3,YD5-H-特500-858,367.6,46034440
変態懸想文  ,福山福太郎著,東京 文芸資料研究会 昭和3.7,YD5-H-特500-656,913.6,46034442
変態性的婦人犯罪考  ,石角春之助著,東京 温故書屋 昭和2.11,特500-604,367.6,46034445
変態風俗の研究  ,田中祐吉著,東京 大阪屋号書店 昭和2,565-218,382.1,47015055
変態社会の理論的考察  ,赤神良譲著,東京 明大学会 昭和8,625-301,361,47020414
変態膨脹期の経済  ,大阪毎日新聞社,東京日日新聞社エコノミスト部編,東京 一元社 昭和9,660-106,332.1,47020556
変態文献叢書  第3巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020727
変態文献叢書  追加 第2巻,,東京 文芸資料研究会 昭和3,183-589,382,47020731
変態風俗画鑑  ,,東京 時代世相研究会 昭和6,563-468,384,47028159

「猟奇」で検索

満蒙猟奇秘話  ,金子泰次編,東京 大洋社 昭和13,YD5-H-特221-573,913.6,44017038
浮世秘帖 猟奇珍談 ,羽太鋭治著,大阪 国民書院 昭和9,YD5-H-特220-171,598,44017464
世界猟奇女風景  ,小原比呂志著,東京 明教書院 昭和11,YD5-H-特252-269,913.6,44031306
猟奇の妖婦 お定の半生 ,瀬川俊郎著,東京 臥竜社 昭和11.8,YD5-H-特501-587,913.6,46034614
猟奇風俗の向脛  ,長河竜夫著,東京 赤炉閣書房 昭和5.9,YD5-H-特501-645,049,46034615
支那猟奇秘話  ,渋川玄耳著,東京 大洋社 昭12,744-69,388.2,46056425
猟奇医話  ,田中香涯著,東京 不二屋書房 昭和10,YD5-H-60-1363,490,47027869
猟奇の社会相  ,赤神良譲著,東京 新潮社 昭和6,565-274,361,47028164
謎の支那を暴く 猟奇秘帖 ,進潮社編,東京 進潮社 昭和8,633-172,362,47028493
世界猟奇全集  第7巻,,東京 平凡社 昭和6.4,YD5-H-特500-747,908,47036772
世界猟奇全集  第10巻,,東京 平凡社 昭和7.2,YD5-H-特500-771,908,47036778

2011年7月1日金曜日

日の丸の歌

via deroli


少女倶楽部新年號附録 少女倶楽部童謡振付1

日の丸の歌

西條八十 作歌・中山晋平 作曲・土川五郎 振付

(一)
いつも眺めてうれしい旗は
燃える日の丸、日本の旗よ、
春は春風、秋、西の風
揺れて、なびいて、海山照らす。

(ニ)
清い白地に眞心赤く、
染めたよい旗、世界にひとつ
まるいかたちは兄弟姉妹、
みんな仲よい日本の姿。

(三)
見れば、仰げば、心が躍る
日本よい國、世界にひとつ、
君の御稜威の日の丸高く
空にかざして勇んで進む。

※「御稜威」という言葉を初めてタイプしたが、一発で変換したので驚いた。(google日本語入力)

電力は戦力!

via deroli 氏


電力は戦力!

一機でも! 一艦でも! 一發でも!
多くつくるには たくさんの電力が必要です

日本中の家庭が深夜中電燈を消すと
飛行機三〇〇台分
戦車三、〇〇〇台分
の電力が節約される

電力を節約しませう!

私タチノ手デ忘レズニ イラナイ電燈ヲ消サウ