2011年6月19日日曜日

錦繪修身談:森狙仙と松本喜三郎のはなし

錦繪修身談 巻6 26/38

"(十)業ハ勉るに成る 畫工森狙仙ハ猿を畫くに妙を得たる者なり 初(はじめ)肥前の長崎にありけるとき猟者に托して一疋の猿を得たりけれバ之を庭中の樹に繋ぎ飼ひて己ハ常に其の傍に居て熟々(つらつら)猿の状貌を視て之を寫す 数年の間此の如くして漸其の真に逼(せま)るやうに見えけれバ絹に浄寫(きよがき)して清人某に見せて其の批評を乞ふ 某熟々視て妙ハ妙なれども惜むらくハ此ハ人家に蓄養せるものゝ形にして天然の趣にあらずといふ 狙仙これより更に意を励して遂に深山に入りて棲息し幽谷に遊びて木石に坐し猿と群をなして備(つぶさ)に難苦を甞(なむ)ること三年にして遂によく其の畫の真に逼る妙を得たりといふ 凡そ一藝に名を得んとする者ハかゝる小技と雖(いへど)も猶力を用ゐること此の如くせざれバ遂に妙を得るに能わず 況んや大事業を起さんとする者 其の苦心如何ぞや 世間徒に僥倖に乗じ手に唾して功名を取らんとする輩 何ぞ之を察せざるや"

"近頃有名の人形師 松本喜三郎といふ者あり 其の作くるところの人畜鳥魚介蟲の類 悉く真に逼らざるハなき故に其の名天下に高し 此の人初 肥後の熊本にありける時 加藤清正の二百五十年回忌に當りて熊本の本妙寺に祀事(まつりのこと)を修めけるに角力歌舞各藝を競ひ珍禽異獣多く集めて觀(みせもの)に備ふ中に喜三郎が作れる人形數体あり 大さ人と同じ 皆同國有名の人を模す 容貌血色骨格動作の状(さま)一も真に非ざるハなし 宛(あたか)も其の人に逢ふ如くなりければ觀る者 其の妙を賞嘆せざるハなかりき そのはじめ之をつくらんとせし時 其の人に近づきて鼻目口耳の形状長短方圓體格の擧動(ようす)等まで備に意を用ゐ念を凝して數年の後に至りて作りたりとぞ 又東京に在りし時 小蛇の蜿蜒(えん/\)匍匐する状を作りてよと請ふ者ありけれバ窃(ひそか)に生蛇を捕へて懐に慝して時々窺ひ 人に之を見せずして遂に其の形状を擬(うつ)したりといふ"

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