てるてる法主おひよりおどり 歌川国芳 年代不詳
おひよりごきとふ/\ てり升/\てらせ升
おてんきくわいせい/\ お子さまがたのおてざいく
あしたハおひよりはれ升/\
おてんき/\ おひより/\/\
めつそなおてんきごうぎなおひより
てり升/\/\"
お日和ご祈祷お日和ご祈祷 照り升照り升照らせ升
お天気快晴お天気快晴 お子様方のお手細工
明日はお日和 晴れ升晴れ升
お天気お天気 お日和よりより
滅相なお天気 豪儀なお日和
照り升ますます
2011年8月21日日曜日
2011年8月15日月曜日
甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳
Yamamoto Kansuke Nyudo Dokisai Haruyuki / Koetsu yusho den Takeda-ke nijushi-sho (Biographies of Heroic Generals of Kai and Echigo Provinces, Twenty-four Generals of the Takeda Clan) / Kuniyoshi
甲越勇将傳 武田家廿四将 山本勘助入道鬼齋晴幸 歌川国芳 1848年
"三州牛窪の産 幼稚(おさなき)より兵書に眼を曝(さらし)て孫呉が奇術を得たり若冠(わかゝり)し時故有て五體不具となりし事或ハ武田家に仕官(つかへ)て所々に勲功ありし等ハ人能知れバ此紙に不言 扨も永禄四年辛酉九月四日に武田上杉の両軍勢川中嶋に合戦の砌 敵将謙信奇計をめぐらし車係の陣を布(しき)味方の勢の難義といひ曾(かつ)ハ大将の籏本さへ危しと見切しかバさらバ命を爰に捨て君恩を報ずべしと手勢を撰(すぐつ)て七十五人 北越無雙の勇将と聞し長尾越前守義景が勇ミ進める兵の中へ會釋もなく突て入 縦横無盡に切て廻り目に余る大軍を七度まで追崩し身も鉄石にあらざれバ數ヶ所の深手に是までなりと一歩も不去(さらず)討死なししハ實(げ)に比類なき働ともまた惜むべき有様ともいふべし 應需 柳下亭種員誌"
2011年8月8日月曜日
太平記英勇傳 荒儀攝津守村重 歌川国芳
no. 27 Aragi Settsu-no-kami Murashige / Taiheiki eiyuden (Heroes of the Great Peace) / Kuniyoshi
太平記英勇傳 荒儀攝津守村重 歌川国芳 1848~1850年頃
"攝州伊丹城主なり其先将軍義昭公に随従して春永に鉾楯(ぼうじゆん)せしが義昭公の柔弱なるをうとんじ大多に降り春永の面前に出るに及んで村重の曰己が領國摂州の地ハ総て十三郡分國にして敵徒所々に城を構へ兵士を集むあハれ其(それがし)に切取の事を仰付られなバ身命を抛(なげうち)切鎮るべしと言上なすに春永莞尓として答をなさず坐右を見玉ふに高坏に饅頭を盛並しものあり腰刀を引抜切先に三ツ五ツ串貫(さしつらぬき)いかに村重我寸志なり食すべしとて目の上に差付たまふ一坐色を失なふ中に荒儀聊(いさゝか)恐るゝさまなく有がたしとにじりより大の口をくわつと開き切先に貫し饅頭を只一ト口に食んとなす春永大きに笑ひ玉ひ聞及し汝が大膽我をさへ驚せり望に任せ切取て摂津守たるべしと仰けれバ村重面目を施し直に打立程なく一國を切従へしが後再び春永に叛き竟(つひ)に伊丹の城を責落され圍(かこミ)を切抜一命を遁れ剃髪して一期を送りしとかや 一家略傳史 柳下亭種員記"
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