2018年3月31日土曜日

岩代國南會津郡大桃村鱒瀧之圖

新日本古典籍総合データベース / 水産小學
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249682/viewer/1

岩代國南會津郡大桃村鱒瀧之圖
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249682/viewer/40


“岩代國南會津郡大桃村に、鱒瀧と唱ふるものあり、此ものハ高さ二丈餘の大瀧に、藤蔓の袋網二ツ三ツをつりをき、鱒登らんとして、登り得ず、中途より落るもの、皆此袋に入るを捕るなり、此瀧に魚ばしごを設け、或ハ鱒鮏の種川となし、魚苗の繁殖をはからバ、尤よろし、又擬虫といふ一種の鮏釣あり此ものハ、華麗なる鳥の羽、或ハ獸の毛を以て、魚の常に好むところの、羽蟲と誤り認めて呑ましめ、餌を用ひずして捕るものなり、”

2018年3月30日金曜日

水産小學 河原田盛美 著 明治15年(1882年)

新日本古典籍総合データベース / 水産小學
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249682/viewer/1

人為にて魚卵を魚にかえす仕方ハ古へよりひらけたりや
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249682/viewer/108




◯人為接合の術を施し、魚卵を孵化する法ハ、西洋紀元前二千百年代の頃、創めて支那に起り、其來る久しといへども、無經に属し、只其名目を存せしに過きず、然るに其法の漸々歐米各國に行はれしより、日に精巧を極め、數種の魚を彼此移養し殊に鮏・鱒の如き、佳種を繁殖せしめ、大に國民を裨益するに至れり、我邦に於ても、其方法を傳習し、先づ試みるに鮏鱒の二種を以てし、現に其孵化生育の結果を得るに及べり、鮏魚ハ、卵を産んとするに先ち、河に溯り、八月中旬より、河水に在り、十月下旬より、十二月上旬まで、に、卵を産むものとす、又鱒魚ハ、卵の熟するが故に、鮏魚よりも、河水に居るの日久しく、大抵春三月下旬より、河に溯り、九月下旬より、十月に至り、卵を産す、故に産卵の季節ハ、稍相異なれども、成熟の景況、雌雄の區別及び、接合の術孵化成育の方法等?、鮏鱒の兩魚粗ぼ同しきものとす、又此兩魚ハ、池に畜養し、成長の後ち、河に放ちて、繁殖せしむるを得るものとす、而して、其産卵の季節に迫れば、形状憔悴し、全體黒色を帯び、腹部に紅紫黒の斑文を現ハし、雌魚ハ、陰孔墳起、腹部膨脹して、蚤形を為す、指頭を以て之を按すれバ、腹中にて、卵の動揺するを覺へ、雄魚ハ、唇肉減じ、齒形鋭く、其状自ら雌魚より威あり、故に一目して、其雌雄を辯ずるを得べし、既に斯の如き景況に至れバ、人工交接の術を、施し、卵を得るに適するの季とす、故に一個の水糟を備へ置き、其一槽にハ、雌魚を入れ、一槽にハ、雄魚を入れ、雌雄を別ちて養ひ置き、母魚の良否及び熟不熟を撰ミ、魚を驚駚?せざるやう、先づ雌魚を捕へ、甲ハ雙手を以て、頸より顋下を握り、乙は尾部を握り、丙は拇ト食指の加減を以て陰孔より卵を按出するやう、徐に魚腹を撫下して、卵を皿鉢の如き器の内へ産ましむべし、此際に魚の潑刺する時ハ、魚體整はず、卵の出でざるものなれバ、能く魚の静止するを認め、て、其腹を撫下すべし、卵を産ましめし後ハ、直ちに雄魚を捕え、前に同じき仕方にて、其の精液を卵上に洩らさしめ、嫩柔なる刷毛、又は鳥羽を以て、卵と精液とを、能く調和し、少しく清水を注ぎて、徐に之を攪拌すべし、精液乍ち、卵に感觸し、卵ハ恰も、橙子色を現ハすに至るべし、是れ即ち、精液の卵中に迸射し、接合の成りたる徴とす、而して、水を充分に、卵上に注加し、二十分時間を經たる後、更に其水を換へ、卵に貼着せし、液汁を能く洗去り、之を孵卵器に移し、水に浸すべし、水ハ晝夜間斷なく、流通せしめ、瞬時も、涸せしめざるを専要とす、又其孵卵器ハ、陶造木製の、各種あれども、扁・柏・杉等の板を以て水凾を造り、木脂を防ぐ為め、木膚を焼き、或ハ之に吧嗎油を塗るを簡便とす、其凾の底にハ、砂礫を敷き、其上に卵を並べて、凾の上端より水を注ぎ入れ、其下端より注ぎ出さしめ、常に水を過不及なく、凾内に循環せしめ、且水垢及び、有害物を除く為め、別に漉水槽を設け、水の其槽を經過して、孚卵凾に注くやう、装置すべし、而して護模製の氣管を以て、時々卵を掃除し、總て清潔なるを要す、斯くの如して、晝夜を論せず、育養する時ハ、全く感觸せし卵ハ、日を經るに從ひ、淺紅色を帯び、漸に膨脹して、頗る堅實なるを覺ゆれども、感觸せざる卵ハ、次第に黄白色を催し、濁白色に變じ、遂に死に至れり、卵の生死ハ瞭然之を辯明するを得可く、又死卵病卵ハ乍ち腐敗して、他の卵に傳染し、健康を害するの懼れあれバ、把卵器を以て、死卵を除棄すべし、接合術を施せしより、凡三週間を過ぐれバ、卵中に血條を生し、小黒點を現出す、是即ち魚眼にして、必ず孵化すべき徴證なり、此卵を他處に運搬するにハ、此時を以て適期とす、其搬運の法ハ、水苔を以て、之を凾詰にす、而して凾ハ其類種々あれとも、最も容易なるハ、長さ一尺四五寸、幅八寸、深さ四五寸とす、鮏卵なれハ、一列に、大約二千餘を並べ、凾の四面に空氣を流通せしむる為め、數個の孔を穿ち、その底にハ、塵芥なき、柔嫩なる水苔を濕ほし、之を敷き、其厚さ凡一寸許、又其上に柔嫩なる麻布を敷き其上に卵を重畳せざる様、一列に並べ、又更に前の如く、水苔と麻布とを敷き、以て卵を並べ、此の如くする凡三層とし、此凾數個を適宜に組み重ねて一荷と為し、更に外套を以て覆ひ、外套と内凾との間ハ、四方二寸許の空隙を存し、是に填するに栗・櫧・蕨等の枯葉を入れ非常の寒暖に觸れしめざるやうにすべし、また搬運の際務て、其箱を激動ならしむべからす而して、運搬の地に達せし時ハ、直に凾中の卵を、孵化器に移すを良とす、若し装置の未だ完整せざる時ハ、該当の儘、風日の映觸せざる所に置き、頓て孵化器に移養するも妨げなし、魚卵の孵化して、魚?(魚偏に米)となるときハ其臍に、嚢様の胞衣ありて、内に天賦の滋養物を有する為め其胞衣の存する間ハ、縦令餌を與ふるも食ハす、常に水底に安息す故に之を食嚢と稱す、而して其胞衣ハ漸に減少して、凡五六週間を經るときハ、全く消収し、魚?(魚偏に米)自ら養器を游泳して、餌を需るが如き徴を現はす、其時始めて、餌を與ふべし、其餌ハ、鶏卵を煤煮し、其卵黄を與へ、或ハ牛の肝臟腎臟を能く煮熟し、細末とし、又は、蚕(夕に虫)蛹粉を、牛肉及び、卵黄に和したるものを最も良とす、而して更に日を逐び、成長、多量の餌を要するに至れば蚕蛹粉を、小麥粉と煉り合せ、滾湯中に投して、能く煮たる後に、細粉となして與ふ可し、鮏・鱒ハ、元來動物を食と為すものなれバ、孑孑・蚯蚓・蝌蚪及び、其他の水虫を嗜み食ふべし、餌を與ふる頃に至れバ、大なる育魚凾に移養し、生長して、凾内稠密なるに至れバ、之を池水に放ち養ふ可く、その育養ハ、池の廣狭と、其湧水の多少とに由り、魚數自から限りあれども、初めの半年間ハ、一坪の池水に、平均千尾より、二千尾を養ひ、後の半年間ハ、五百尾以上を養ふべし、故ニ次年三年に至れバ、皆此割合に從ひ、其尾數を減ぜざるを得ず、満一箇年を經れバ、大抵八寸より一尺餘に成長すべし、然れども、之を河水及び、死水に畜養する時ハ、氣候に感じ易く、且暑氣に至れバ、其水の暖に過ぎ、適宜の度を失ふものとす、故に、華氏驗温器六十度以下、四十度以上の、湧水を擇み用ふべし、また之を河流に放ち、繁殖せしむるにハ、春季三月より、五月に至る頃、河水中に餌物の生ぜしときをよろしとす、又養魚室ハ、水源より、稍低所に設け、その距離方向を圖り、適宜に、水を、其室内に導く様、建築せざれバ、諸機械を排列するに不便を生するものなり、其室内にハ、烈しく光線の映射するを忌み、且つ、水獺・鼬鼠・等の外患を豫防すべし、其諸機械を製する木材ハ、浮爛・羅勒・扁柏・杉等を吧嗎油にて塗り、又ハ焼焦すべし、而して養魚室を設くる地ハ、斜傾にして、池水の能く流通し、且つ池を増設するに便なる所を良とす降雨其他水害の為め、汚水の注流する患あるときハ、週圍に溝渠を穿ち、以て之を防ぐべし、

※孑孑(ぼうふら)
※蝌蚪(かと オタマジャクシの別名)