2012年6月11日月曜日

絵本通俗三国志より「華陀刮骨治関羽」


絵本通俗三国志. 初,2-8編 / 池田東籬亭 校正 ; 葛飾戴斗 画図

五編巻之八 華陀刮骨治関羽

関羽。すでに。魏の七軍を打平げて。一手の勢を。郟下にさしむけ。みづから。大軍を引て。樊城の四方を囲ミ。北の門に馬を立て。汝等城中の鼠。なんぞ。早く降らざる。われ忽ちに打破て。一人も餘さじと。よバゝり。大膚抜になりて。兵を下知しけれバ。曹仁。矢倉の上より。望ミ見て。きうに。五百余張の弩を。同時にはなち出しけるに。関羽。右の臂を射れ。馬より。倒(さかさ)まに落しかば。城中より。これを見て。曹仁。一度に討て出けれバ。関平。兵を進て。大に戦ひ。父を救て。本陣に回(かへ)り。鏃を掘て抜けるに。元来。毒藥を付たる。矢なりしかバ。血流れて止ず。臂ハ。青く腫て。痛はなハだ忍びがたし。関平。諸将をあつめて申けるハ。父の矢瘡。痛手なれバ。しバらく戦ひを休(やめ)。荊州に回りて。保養すべし。王甫が曰く。某が意(こゝろ)も。相同じとて。ともに帳中に入て。その体を見に。関羽。席上に坐して。常に異ならず。汝等。いかなる。ゆへかあると。問けれバ。王甫が曰く。某等ミな。将軍の矢瘡重を見に。若(もし)敵に臨んで。怒を発し。又ハ合戦に出て。臂を使ひ玉ハんことを怕(おそ)れ。諸人相議して。しバらく。荊州に回らんと存じ候。関羽。怒つて申けるハ。われ。樊城を取こと。目前にあり。樊城をとりて。後の患(うれひ)を除き。長く駈て。大にすゝミ。都の内に攻入て。曹操が首を刎。再び。漢の天下を。興さんことハ。これ我。もとよりの願也。豈小の矢瘡によりて。これ程の。大事を廃せんや。汝等。無用の舌を揺(うごか)して。諸軍の心を。おこたらしむることなかれと。叱けれバ。諸将おそれて退出す。しかれ共。瘡の痛。はなハだしく。なりけるゆへ。四方に人を遣して。名ある毉者を尋けれバ。ある日。一人の毉士。小舟にのりて。呉の國より來る。関平。よび入れて。對面すれバ。その人。あやしき衣を被て。臂に青き嚢(ふくろ)をかけ。某ハ。沛國譙の人にて。華陀。字ハ元化と申もの也。関将軍ハ。天下の義士。いま毒の矢に。中(あたり)玉ふときいて。療治を加ん為に。來れりといひけれバ。関平問て曰く。御辺ハ。そのかミ。呉の大将。周泰が瘡を治したる人か。華陀が曰く。しかり。関平大に喜び。諸将とともに。中軍に入りて見れバ。関羽ハ。臂の痛。はなハだし。かりけれども。諸軍の。乱れんことを怕れ。痛をしのんで。馬良と。碁を打て。居りけり。関平すなハち。華陀を引て。對面させけれバ。関羽座をたまふて。傍に坐せしむ。華陀。瘡を見んと請けれバ。関羽。衣を袒(かたぬ)ぎ。臂を伸て。見せしむるに。華陀申けるハ。これハ弩の矢瘡にして。烏頭といふ。毒藥。すでに。骨に透り入れり。もし。はやく治せずんバ。この臂ながく廃るべし。関羽が曰く。いかなる。物をもつて。治すべきぞ。華陀が曰く。たゞ怕くハ。将軍の。おどろき怕れ玉ハんことを。関羽笑つて曰く。われ死をだに顧ミず。なんの怕るゝことかあらん。華陀が曰く。靜なる所に。一つの柱を立。鉄の環を打て。将軍の臂を。環の中に入れ。縄を以てよく/\縛り。被(ふすま)をもつて顔を?(おほふ 蒙)。病人。これを見れバ。怕れ動くことを。おもふゆへなり。われ。刀をもつて。皮肉をさき。ひらき。骨に付たる。毒を刮りて。藥をもつて。これを塗。その口をぬふときハ。おのづから。無事ならん。たゞ怕らくバ。将軍。おどろき怕れたまふべし。関羽笑て曰く。これにすぎたる。易きことやある。何(なんぞ)柱を用ゆべきとて。酒を出して。もてなし。ミづから。数杯をのんで。本のごとく。又馬良と基を囲ミ。右の臂を伸て。華陀にさづけしかバ。華陀。手に刀をもつて。一人の士卒に。盆をさゝげて血を受させ。たゞ今。切破り候ぞ。おどろき玉ふなと云けれバ。関羽が曰く。早く割玉へ。われなんぞ。世間の小児と。おなじからん。御辺心のまゝに療治せよ。華陀すなハち刀をもつて。皮肉を尽く。切破り。骨を出して。これを見るに。骨すでに毒にそみて。その色青しすなハち刀をもつて。これを割に。満座ミな面を掩て。色をうしなハずと。いふものなし。関羽。酒を飲。肉を食て。笑ひ談(かた)ること。故のごとく。碁を囲で。さらに動ことなかりしかバ。血ながれて盆に滿。華陀。その毒を。こと/゛\く刮り。能々藥をぬり。線(いと)をもつて。口を縫了りけれバ。関羽大に笑ひ。諸人に向て申けるハ。この臂。すでに伸屈(のべかゞむ)ること故のごとし。すこしも痛むことさらになし。華陀が曰く。某。医を業とすること。久しけれども。いまだ。将軍のごとくなる。人を見ず。乃ち。まことの天神なり。某すでに。療治を加る上ハ。百日を。すぎずして。旧のごとくなるべし。よく/\。慎ミ護て。怒の気を起し玉ふな。関羽かぎりなく喜 黄金百両をもつて。謝しけれバ。華陀が曰く。某。もとより。将軍ハ。天下の義士なることをしりて。こゝに来れり。なんぞ。この賜を受んやとて。卒に受ず。別に藥一貼を残し。後に。瘡の口をおふひ玉へといふて。相別れて去にけり。

"華陀関羽が臂を割て毒瘡を療ず"



通俗三国志之内 華佗骨刮関羽箭療治図 歌川国芳 1853年4月


2012年6月10日日曜日

絵本通俗三国志より「孫峻計殺諸葛恪」


絵本通俗三国志. 初,2-8編 / 池田東籬亭 校正 ; 葛飾戴斗 画図

七編八 孫峻計殺諸葛恪

去程に諸葛恪ハ。淮南より回(かへ)りて後。心神恍惚として。快からざりしかバ。中堂に出て坐したる所に。何(いづく)とも無。麻の衣を被(き)て。孝を掛たるもの。一人出来れり。諸葛恪。あやしんで。何ものぞ。いま/\しき体にて。此にきたれると叱けれバ。その人大におどろき。茫然としてあきれたる体なり。諸葛恪いかさま是ハ故あらんとて。士卒を召て拷問せしむるに。その人つげて申けるハ。某が父近比亡びたり。是故に僧を請じて。作善追薦の営をなさん為に。此所を寺なりとおもふて入けるに。案の外に太傅の府中なりと云けれバ。諸葛恪もつての外に怒て。門を守る軍士をめして。怪しき人や入たると問に。皆答て。某等一刻も離れず。数十人戈を持。鎗を?(とり)て。門を守といへども。曽(かつ)て左様の人を見ずといひけれバ。諸葛恪。弥々あやしミ。番衆を一人も残さず斬殺し。その夜心易からずして。臥たりしに。俄に正堂の内。おびたゝしく鳴響て。百千の霹靂(いかづち)の。おつるがごとくなりけれバ。自ら行て。これを見るに。正堂の梁(うつバり)中より折て二つとなり。陰風習々として何ともなく。哀ミ哭く音(かなしみなげくこえ)。耳に満て。今朝殺したる。麻の衣を被たる者。数十人の軍士を伴ひ来り。諸葛恪が頭を掴んで。命を求む。諸葛恪。?(たましひ 云+鬼)を喪つて。地の上に倒れけるが。良久(やゝひさしふ)して甦り。早天に起て。湯洗ひ口漱ぎけるに。其水はなハだ血腥かりければ。侍婢を叱つて。水をかへさせけるに。幾度かゆれども。その臭きこと旧のごとく。諸葛恪はなハだ怒り。立所に侍婢を斬て。衣服をき更(かへ)んとすれバ。是も血腥(ちなまぐさふ)して。数十度被更れども臭こと休ず心の内凋帳として居たる所に。忽ち天子勅使あり。太傅を招いて。酒宴をなし玉ハん。早々に参らるべしと云けれバ。諸葛恪。勅を?(うけたまハ 承)り。急ぎ車にのつて多の兵をしたがへ。中門まで出けれバ日比羪(やしな)ひ置たる黄なる犬あり。走り来て諸葛恪が裾を呀(くハ)へ。その?(こへ 士+巴)嚶々として哭く状をなしけれバ諸葛恪が曰く。此犬わが参内を。とゞむるならんとて。遂に引回(ひきかへ)して坐しけるが。暫くありて出けれバ。犬又走り来て引止む。是のごとくなること三度におよびけれバ扨ハこの犬われに戯るゝ也とて。兵に命じて逐打せ。車を推て出けれバ。俄に白き虹。地より起て。練絹を引がごとく。天に上り失にけり。諸葛恪左右の人にむかつて。此ハ不吉の兆にあらずやと問けれバ。皆答てこれ慶の吉兆なりと申す。已に車をはやめて禁門に入けれバ。武衛将軍孫峻。出迎へ地に拝して申けるハ。太傅の尊体。近此不安なるときゝ玉ひて。天子酒宴を設けて待玉ふと。云ければ互に礼了(おハり)て内に入けるに。御林の大将張約。車の前に来て。今日宮中の酒宴ハ。某さらに心得ず。はやく此より回玉へと。私語(さゝやき)けれバ。諸葛恪大にあやしんで。急に車を回しけるに。太常卿滕胤つと来り。車の前に拝伏して曰く。これハ何とて御回(おんかへり)はなハだしふして。天子に見(まミ)ゆることを得ず。滕胤が曰く太傅さきに。魏を攻玉ひて後卒に天子に見へ玉ハず。今日酒宴を設けて。國の大事を議し玉ふ。假令(たとひ)いかなる事ありとも。是まで来て回り玉ふことやある。勉て天子に見玉へ。諸葛恪已ことを得ず。相共に宮中に入けれバ。呉主孫亮出迎て曰く。朕久しく。太傅に逢ず。今日酒宴を設けて。一大事を議せんとほつす。諸葛恪が曰く。いかなる大事にて候ぞ。孫亮が曰く。しバらく坐せよ國家の政を議せんとて。孫峻に命じて。盃をとらせけれバ。諸葛恪心の内安からず臣が病ハまだ痊(いへ)ず。是故に酒を呑ずと云けれバ。孫峻が曰く太傅は常に薬酒を製して。飲玉ふと?(うけ 承)玉ハる。急ぎ人を馳てとり来らしめん。諸葛恪が曰く我病薬酒ハ苦しからず孫峻すなハち人を遣して。諸葛恪が。みづから造置たる。薬酒をとりよせけれバ。諸葛恪も。心を安んじて。是をのミ。已に數返におよびけるとき。孫亮事に託(よせ)て外に出けれバ孫峻殿(でん)の上より走り下り。衣裳を脱で。小具足ばかりになり。刀を提げて。おどり出。天子詔あり。逆賊を誅すとよバゝりけれバ。諸葛恪大におどろき。盃を弃(すて)て劔を抜とき。首ハ已に地に落たり。張約これを見て。刀を舞して討て蒐(かゝ)り。孫峻と戦て。張約。右の臂を斬落され。孫峻は左の指を斬れにけり。ときに武士ども走り来り。張約を寸々(すだ/\)に斬て肉泥としけれバ。朱恩かなハじとや思ひけん。外に走りけるを。追付て斬殺す。孫峻すなハち大音あげ。諸葛恪罪ありて。已に誅し了り。諸人罪なしとよバゝりけれバ。上下ミな安堵をなす。其後殿上の血をきよめ。再び呉主孫亮を請じて。慶の酒宴をなし。芦の蓆をもつて諸葛恪が屍を包ミ。篾(たけむしろ)をもつて上を束ね。車にのせて城南の門外石子崗の塚坑にぞ弃させける。諸葛恪が妻ハ。房(ねや)の内に居りけるに俄に心の愕くやうにして。恍惚としけるが。暫ありて。侍婢一人外より来り。遍身血に汚れたりけれバ。あやしんで何事ぞと問に。その女。目を怒し牙を咬み高踊挙(たかくおどりあがり)て。その頭 梁を撞。われハ乃ち諸葛恪なり今日奸賊孫峻に出抜れて。殺されたりとよバゝりしかバ。一家の老少。おどろき怕(おそ)れて、哭き号(さけぶ)?(こへ 士+巴)四方にきこゆ。不時に武士どもはせ来り。其一家をしばつて尽(こと/゛\)く市に斬る。ときに呉の大興二年 *1 冬十月なり。初め江南の小児の謡に。諸葛恪芦蓆單衣篾鈎落 于河相救成子閣 *2 といへり。昔し父の諸葛瑾常々諸葛恪がはなハだ聰明にして。才智尽く外へ著(あらハ)るゝを嘆き。此子。家を保の主にあらずといひしが。果して此のごとく。又魏の光禄大夫張緝が。司馬師に語て申けるハ。諸葛恪ハ。久しからずして必ず死せん。司馬師その故を問に 威震其主 功蓋一國 なんぞよく。久しからんと云けるが。尽く今日に應ぜり。呉主孫亮。これより。孫峻を丞相大将軍富春侯に封じて。内外の事を総督(すべたゞさせ)けれバ。権柄又一人に属しける。

*1 建興ニ年の誤りか。
*2 宋書に以下の記載があるようだ。

吳孫亮初,童謡曰:「籲汝恪,何若若,蘆葦單衣篾鈎絡,于何相求成子閣。」成子閣者,反語石子堈也。鈎落,鈎帶也。及諸葛恪死,果以葦席裹身,篾束其要,投之石子堈。後聽恪故吏收斂,求之此堈雲。孫亮初,公安有白鼉鳴。童謡曰:「白鼉鳴,龜背平,南郡城中可長生,守死不去義無成。」南郡城可長生者,有急,易以逃也。明年,諸葛恪敗,弟融鎮公安,亦見襲。融刮金印龜,服之而死。鼉有鱗介,甲兵之象。又曰白祥也。

"諸葛恪穢水を嗔(いかつ)て侍婢を斬る"


"諸葛恪が妻閨中に奇怪を見る"