2012年6月10日日曜日

絵本通俗三国志より「孫峻計殺諸葛恪」


絵本通俗三国志. 初,2-8編 / 池田東籬亭 校正 ; 葛飾戴斗 画図

七編八 孫峻計殺諸葛恪

去程に諸葛恪ハ。淮南より回(かへ)りて後。心神恍惚として。快からざりしかバ。中堂に出て坐したる所に。何(いづく)とも無。麻の衣を被(き)て。孝を掛たるもの。一人出来れり。諸葛恪。あやしんで。何ものぞ。いま/\しき体にて。此にきたれると叱けれバ。その人大におどろき。茫然としてあきれたる体なり。諸葛恪いかさま是ハ故あらんとて。士卒を召て拷問せしむるに。その人つげて申けるハ。某が父近比亡びたり。是故に僧を請じて。作善追薦の営をなさん為に。此所を寺なりとおもふて入けるに。案の外に太傅の府中なりと云けれバ。諸葛恪もつての外に怒て。門を守る軍士をめして。怪しき人や入たると問に。皆答て。某等一刻も離れず。数十人戈を持。鎗を?(とり)て。門を守といへども。曽(かつ)て左様の人を見ずといひけれバ。諸葛恪。弥々あやしミ。番衆を一人も残さず斬殺し。その夜心易からずして。臥たりしに。俄に正堂の内。おびたゝしく鳴響て。百千の霹靂(いかづち)の。おつるがごとくなりけれバ。自ら行て。これを見るに。正堂の梁(うつバり)中より折て二つとなり。陰風習々として何ともなく。哀ミ哭く音(かなしみなげくこえ)。耳に満て。今朝殺したる。麻の衣を被たる者。数十人の軍士を伴ひ来り。諸葛恪が頭を掴んで。命を求む。諸葛恪。?(たましひ 云+鬼)を喪つて。地の上に倒れけるが。良久(やゝひさしふ)して甦り。早天に起て。湯洗ひ口漱ぎけるに。其水はなハだ血腥かりければ。侍婢を叱つて。水をかへさせけるに。幾度かゆれども。その臭きこと旧のごとく。諸葛恪はなハだ怒り。立所に侍婢を斬て。衣服をき更(かへ)んとすれバ。是も血腥(ちなまぐさふ)して。数十度被更れども臭こと休ず心の内凋帳として居たる所に。忽ち天子勅使あり。太傅を招いて。酒宴をなし玉ハん。早々に参らるべしと云けれバ。諸葛恪。勅を?(うけたまハ 承)り。急ぎ車にのつて多の兵をしたがへ。中門まで出けれバ日比羪(やしな)ひ置たる黄なる犬あり。走り来て諸葛恪が裾を呀(くハ)へ。その?(こへ 士+巴)嚶々として哭く状をなしけれバ諸葛恪が曰く。此犬わが参内を。とゞむるならんとて。遂に引回(ひきかへ)して坐しけるが。暫くありて出けれバ。犬又走り来て引止む。是のごとくなること三度におよびけれバ扨ハこの犬われに戯るゝ也とて。兵に命じて逐打せ。車を推て出けれバ。俄に白き虹。地より起て。練絹を引がごとく。天に上り失にけり。諸葛恪左右の人にむかつて。此ハ不吉の兆にあらずやと問けれバ。皆答てこれ慶の吉兆なりと申す。已に車をはやめて禁門に入けれバ。武衛将軍孫峻。出迎へ地に拝して申けるハ。太傅の尊体。近此不安なるときゝ玉ひて。天子酒宴を設けて待玉ふと。云ければ互に礼了(おハり)て内に入けるに。御林の大将張約。車の前に来て。今日宮中の酒宴ハ。某さらに心得ず。はやく此より回玉へと。私語(さゝやき)けれバ。諸葛恪大にあやしんで。急に車を回しけるに。太常卿滕胤つと来り。車の前に拝伏して曰く。これハ何とて御回(おんかへり)はなハだしふして。天子に見(まミ)ゆることを得ず。滕胤が曰く太傅さきに。魏を攻玉ひて後卒に天子に見へ玉ハず。今日酒宴を設けて。國の大事を議し玉ふ。假令(たとひ)いかなる事ありとも。是まで来て回り玉ふことやある。勉て天子に見玉へ。諸葛恪已ことを得ず。相共に宮中に入けれバ。呉主孫亮出迎て曰く。朕久しく。太傅に逢ず。今日酒宴を設けて。一大事を議せんとほつす。諸葛恪が曰く。いかなる大事にて候ぞ。孫亮が曰く。しバらく坐せよ國家の政を議せんとて。孫峻に命じて。盃をとらせけれバ。諸葛恪心の内安からず臣が病ハまだ痊(いへ)ず。是故に酒を呑ずと云けれバ。孫峻が曰く太傅は常に薬酒を製して。飲玉ふと?(うけ 承)玉ハる。急ぎ人を馳てとり来らしめん。諸葛恪が曰く我病薬酒ハ苦しからず孫峻すなハち人を遣して。諸葛恪が。みづから造置たる。薬酒をとりよせけれバ。諸葛恪も。心を安んじて。是をのミ。已に數返におよびけるとき。孫亮事に託(よせ)て外に出けれバ孫峻殿(でん)の上より走り下り。衣裳を脱で。小具足ばかりになり。刀を提げて。おどり出。天子詔あり。逆賊を誅すとよバゝりけれバ。諸葛恪大におどろき。盃を弃(すて)て劔を抜とき。首ハ已に地に落たり。張約これを見て。刀を舞して討て蒐(かゝ)り。孫峻と戦て。張約。右の臂を斬落され。孫峻は左の指を斬れにけり。ときに武士ども走り来り。張約を寸々(すだ/\)に斬て肉泥としけれバ。朱恩かなハじとや思ひけん。外に走りけるを。追付て斬殺す。孫峻すなハち大音あげ。諸葛恪罪ありて。已に誅し了り。諸人罪なしとよバゝりけれバ。上下ミな安堵をなす。其後殿上の血をきよめ。再び呉主孫亮を請じて。慶の酒宴をなし。芦の蓆をもつて諸葛恪が屍を包ミ。篾(たけむしろ)をもつて上を束ね。車にのせて城南の門外石子崗の塚坑にぞ弃させける。諸葛恪が妻ハ。房(ねや)の内に居りけるに俄に心の愕くやうにして。恍惚としけるが。暫ありて。侍婢一人外より来り。遍身血に汚れたりけれバ。あやしんで何事ぞと問に。その女。目を怒し牙を咬み高踊挙(たかくおどりあがり)て。その頭 梁を撞。われハ乃ち諸葛恪なり今日奸賊孫峻に出抜れて。殺されたりとよバゝりしかバ。一家の老少。おどろき怕(おそ)れて、哭き号(さけぶ)?(こへ 士+巴)四方にきこゆ。不時に武士どもはせ来り。其一家をしばつて尽(こと/゛\)く市に斬る。ときに呉の大興二年 *1 冬十月なり。初め江南の小児の謡に。諸葛恪芦蓆單衣篾鈎落 于河相救成子閣 *2 といへり。昔し父の諸葛瑾常々諸葛恪がはなハだ聰明にして。才智尽く外へ著(あらハ)るゝを嘆き。此子。家を保の主にあらずといひしが。果して此のごとく。又魏の光禄大夫張緝が。司馬師に語て申けるハ。諸葛恪ハ。久しからずして必ず死せん。司馬師その故を問に 威震其主 功蓋一國 なんぞよく。久しからんと云けるが。尽く今日に應ぜり。呉主孫亮。これより。孫峻を丞相大将軍富春侯に封じて。内外の事を総督(すべたゞさせ)けれバ。権柄又一人に属しける。

*1 建興ニ年の誤りか。
*2 宋書に以下の記載があるようだ。

吳孫亮初,童謡曰:「籲汝恪,何若若,蘆葦單衣篾鈎絡,于何相求成子閣。」成子閣者,反語石子堈也。鈎落,鈎帶也。及諸葛恪死,果以葦席裹身,篾束其要,投之石子堈。後聽恪故吏收斂,求之此堈雲。孫亮初,公安有白鼉鳴。童謡曰:「白鼉鳴,龜背平,南郡城中可長生,守死不去義無成。」南郡城可長生者,有急,易以逃也。明年,諸葛恪敗,弟融鎮公安,亦見襲。融刮金印龜,服之而死。鼉有鱗介,甲兵之象。又曰白祥也。

"諸葛恪穢水を嗔(いかつ)て侍婢を斬る"


"諸葛恪が妻閨中に奇怪を見る"


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